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講義名
第5回信州おもてなし未来塾(第2期)
講議日時
平成27年11月11日(水) 13:00~
場所
長野県庁西庁舎301号会議室

講演内容

「お客さまを惹きつける魅力を想像する」 言葉が紡ぎだす、心のつながり~心をつかむ対話~

第5回「信州おもてなし未来塾」の写真

講義
高野 登塾長
講師
福島 規子氏
(九州国際大学国際関係学部教授・オフィスヴァルトサービスコンサルタント)
講演内容
「お客さまを惹きつける魅力を想像する」
言葉が紡ぎだす、心のつながり~心をつかむ対話~

1 講義

高野塾長

 今日は本当に特別な存在である福島先生が来てくれた。できるだけたくさん、エッセンスを皆さんに伝えてほしいので、最初に私が30分間だけ導入部分をお話したい。その後は、がっつりと、福島先生のワールドに入っていただきたい。
 今日は前回からのテーマの底流に流れているものだが、「視点を変える」ということを日常的にどのように皆さんが捉えているか考えていただきたい。それをどう実行しているかということを頭の隅に置きながら、最初に30分ほど考えてみたいと思う。
 それからもう一つ、これはリッツカールトンで我々がやってきたことを思い返したときに見えてきたことだが、「創る前に掘り起こす」ということ。
 我々は何か新しいものを学んだときに、これは新しい知識であり学びであると捉える。それは新しい考え方、思考プロセスを創り出す作業の一つだ。しかし一方で、自分の中に既にあるいろいろな知識や智恵を掘り起こすことも、自分の成長を考えるときに大事なプロセスとなる。
 福島先生の話を聴きながら、皆さんの中にすでにある、そうした感性をどんどん掘り起こしていって欲しい。自分では気付かないところに眠っているかもしれない感性をどんどん刺激していってほしいと思う。それが「創る前に掘り起こす」ということだ。自分の中の可能性や才能をどんどん掘り起こす。そういう考え方を自分の中にしっかり持ってもらいたいと思う。
 まずはこの「視点を変える」という感性をもつ。そして視点を変えるときにとても大事なことは、今日も、この後でもたくさん出てくるが、言葉のちからを意識するということ。時々、中学、高校に呼ばれて話をさせていただくが、言葉から自分の中にいろいろな物語を発想してそれを紡いでいく力が弱い子供たちがとても多いことに気がつく。これは一つには日常的に携帯やPC、テレビ、さらにはゲームなど、スクリーンを見ることが多いために、与えられた映像だけを見させられている結果ではないかと思う。つまり自分の力で心の中に映像を生み出すトレーニングを受けていないのではないかということだ。
 例えばこういう言葉から皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
 「王様が亡くなった。そのすぐ後でお后様も亡くなった」
 もう一つは、
 「王様が亡くなった。悲しみのあまりお后様も亡くなった」
 いかがだろうか。ここにいる皆さんは、この二つの文章から違うイメージが浮かんでくるのではないだろうか。もしかすると、悲しみのあまりご飯を食べられなくなったのかなとか、悲しみで夜もろくに眠れなくなったのかなとか、部屋で泣き明かして衰弱して亡くなったのかなとか、いろいろな情景が、つまり絵が浮かんでくるだろうと思う。ところが、そういう情景が浮かんでこない子供たちが、我々の周りにたくさんいる。「王様が亡くなって、次にお后様が亡くなったんだよね。どちらも同じでしょ」としか受け取ることができない子供が結構いることに最近気がついた。これは怖いことだと思う。
 心に情景を思い浮かべたり、違いを感じとったりする力を情緒という。つまり、子どもたちの情緒が弱い、あるいは不安定になっているのだと思う。
 だから、自分の中の心のスクリーンに絵を、映像を生み出していく力がとても弱い。この新しい映像を生み出す力が、そのままおもてなしを生み出す力、ホスピタリティを生み出す力、サービスを形にしていく力に繋がっていく。想像し、仮説を立て、検証する力と同じだからだ。だから原点である言葉をきちんと受けとめて、そこから新しい視点を生み出していく力がないと、おもてなしができないということになってしまう。
 しかし、ここにいる皆さんにはそういう力が十分にある。そしてその力を、この未来塾においても継続して磨いてきている。だからこそ、自分の周りにいる人たちと出来るだけ言葉について考える時間をとってほしいと思う。それは言葉で考えるということだけではなく、ある言葉を聞いたときにそこからどんな情景が浮かぶかという、想像力を鍛えるという点についてもだ。
 例えばこんな例もある。
 「あなたとディズニーランドに行けて楽しかった。」
 「あなたとディズニーランドに行けて嬉しかった。」
 「あなたとディズニーランドに行けて幸せだった。」
 この3つの言い方から、心に浮かんでくる思いや情景が違うということに気づいただろうか。こうした言葉が生み出す違いに敏感になるということ。それを大事にするということだ。これが仕事だけではなく、日常的に社会と関わっていくときの基本になる。だからこそ、これは毎回のように繰り返してお伝えしているが、想像力を鍛えることが、絶対的に必要なのだ。さらに言うと、自分の成長の基本はここにある。「想像力を鍛える」ということに尽きると思う。
 もう一つ例をあげて考えてみたい。皆さんはある駅から重たいボストンバックを持って、タクシーに乗るとしよう。かなり重いバッグだ。まずボストンバックをタクシーの席の奥に乗せるだろう。次に自分自身が乗って「○○ホテルまで」と運転手さんに告げる。そしてホテルに到着。がっしりとしたドアマンがタクシーに近づいてくる。そして、支払いを済ませた皆さんに、ドアマンがこう声をかけてくる。
 「いらっしゃいませ。よかったらそのお荷物、先にお預かり致します」
 皆さんは重たいバッグを、よっこらしょとばかりにドアマンに渡す。そしてタクシーをおりた皆さんに、ときにドアマンが、「それではフロントまでご案内させて頂きます」と言って案内する。おそらくこれが普通のケースだと思う。ではこの中で少し違う経験したという人はいるだろうか。
 皆さんにドアマンになって想像して頂きたい。
 タクシーのドアが開いた。「いらっしゃいませ」と声をかけたらお客様の向こう側に重そうなボストンバックが見えた。ここからが想像の領域だ。そのお客様が年配の方だったら、若者だったら、女性だったらといろいろ想像してみる。するといろいろな場面が浮かんでくる。
 お客様がかなりの年配の方だったら、「どうぞバックはそのままで、先にお降りください」と言って、反対側のドアにまわりバックを取り出して「ではフロントにご案内させていただきます」となることだろう。そうすれば、お客様は駅でタクシーに乗った後は、お部屋に入るまで、自分の重たいバックを持たないですむ。
 では、何故ほとんどのホテルでこうはならないのか。答えは簡単。ドアマンはほとんどが元気で健康な若者だから。
 つまり自分が若くて健康で元気だから、お客さんがもしかしたら手首が痛いんじゃないかとか、ひじが痛いんじゃないかとか、重たいバッグが負担になるんじゃないかということが想像できない。
 でも、自分の母親が肘や手首の痛みで辛そうだということを思い出したら、「どうぞバッグはそのままで」というひと言がでるのではないか。
 それが相手の立場に立って、違う視点で物事を想像してみるということだ。新しい視点を持ち、想像力を鍛えていくということは、「自分にとっては当たり前という物差し」を外して考えることに他ならない。自分の当たり前の基準は、ほかの人にとってはそうでないかもしれないと考える。自分には何でもない重さが、ある人にとっては大変な重さかもしれないのだ。
 自分の物差しを外して考えるには一つの法則がある。今日はありがたいことに、そういう法則や仕組み、考え方を身につけるためのヒントを教えてくれるエキスパートが来てくださっている。そういう力をつけるとこんなに目の前の景色や行動が劇的に変わっていくということを実感できる時間となるに違いない。そしてやはりこの想像力というものが全ての原点になる。
 伊那食品工業での学びを思い起こしてみよう。例えば社員の方が自分の車をどう駐車していたか。車をバックで入れないのはなぜだったか。そこに草花が生きているから。バックで駐車したら排気ガスがかかる。かわいそうじゃないかというやさしさから出ている行動。だから車の前側から入れる形で駐車する。しかも、車の後ろを全員がきちんとそろえておく。それは自分たちの働くときの心の形が駐車の仕方にも表れるから。全てを整えていくことが自分たちの会社を「いい会社」にすることに繋がるとだれもが考える。そしてそれが伊那食品工業での当たり前の行動であり、考え方だということ。
 だから一つ一つの行動に理由がある。常に意識してやっている。何気なくやっている行動というのは基本的にはない。無意識の行動のように見えるのは慣れているから。でもそこには一つ一つ理由がある。ところが、多くの場合、それが当たり前の行動になり過ぎてしまうと、疑問を投げかけたくなってしまう。自分の行動に対して常に疑問を投げかけることは大事なこと。これでいいのか、本当にそうかと。言われたことに対しても同様のことがいえる。指示されたことを無意識になるのではなく、自分はこう思うと意識的に考えながら働くことで提案する力がついてくる。
 会社や組織の体質によっては、ストレートには行けない場合ももちろんあるが、それでも常に疑問を投げかける習慣をもつことは大事なこと。
 5回、クエスチョンする、ご存じ、トヨタ方式。トヨタという会社は5回、なぜを繰り返す。なぜなの、なぜなの、なぜなの、なぜ、なぜと、5回繰り返さないと次のステップには行かない。そして、5回繰り返してこれだというところまで行ったら本気になってやる。
 日常的に考える習慣をつくるというのは、大げさのようなものではない。有名なトヨタ方式も決して大げさなものでもない。先ほどの重そうなボストンバックを持っている人の例を考えても、自分ならどうするかを考えてみるだけのこと。こうしてあげたら相手はどう思うだろうと考える。それを習慣にすると、自分の中の優しさや、ひとに対する尊敬の念などが刺激される。その刺激を感じながら、次に何が出来るかを考え続けることを成長と呼ぶ。感性の成長。それをずっと繰り返しながら一番いい。一生、成長し続けること。
 前回も例にあげた、左利きのお客様がいらした時のケーススタディ。自分のテーブルのお客様がナイフとフォークを左右に入れ替えて食事をされている。「あ、左利きなのだ」と気づいた。この方はあと5泊される。その時、「次の朝から、自分がナイフとフォークを入れ替えて差し上げよう」と思いつくかどうか。難しいことでも何でもない。でも、それを思いつくホテルマンは圧倒的に少ない。「余計なことをするな」というトレーニングを受けているのではと思うほど少ない。でもこれはホテルマンに限ったことではない。日常的にそういうことを考える練習、トレーニングを積んでいない人はとても多い。
 少し前に仙台での勉強会に呼んでいただき、新幹線で行ったときのこと。私が座っている、斜め前に中学生くらいの男の子が座った。その横が空いていて、私の前の通路のところにやっぱり空席があった。次の駅で年配のカップルが乗ってきた。おばあちゃんはその子の反対側の窓際に座り、おじいちゃんは私の目の前の通路側に座った。どうやら隣同士の席が取れなかったらしいことが分かる。その中学生の子をはさみながら、会話したりお茶を手渡したりしている。3分ぐらいたったときに、この子供が反対側の通路側のおじいちゃんに声をかけた。「よかったら、僕と席を代わりましょうか」と。これは大人でもなかなか出ない言葉だ。しかもすごく自然だった。もう思わず、心の中で叫んでいた。「大人になったらリッツ・カールトンへおいで」と(笑)。
 そういうことがサラッとできる中学生もいる。何もできない大人もいる。この違いは何だろう。家庭教育といったらそれまでかもしれないでもこういう光景をみて、さらに想像を広げてみる。この子はきっと家でも、おじいちゃん、おばあちゃんたちに優しいんだろうとか。実は気づく力があるホテルマンは、おばあちゃん子だったりする。おじいちゃんやおばあちゃんからいろいろな話を聞いている。そして自分のおじいちゃんやおばあちゃんの体が弱くなるのをみているから、何かお手伝いしようと思う習慣が身についている。
 「よかったらその荷物、お持ちしましょうか」、「毛布をお使いになりますか」と、そうした言葉をさらっとかけることができる。ところが今は、初めからこれをトレーニングしなければならないホテルマンのほうが多い。我々の世代は、家には年寄りが同居しているのが普通だった。しかし今の子供たちはそういう環境にはいない。核家族化や少子化で、子供同士が競争する機会まで減ってしまった。
 だから、あの田中角栄さんが言ったこんな言葉が冗談とは思えない。
 「子供をつくるんだったら3人がいい。なぜなら、一人っ子はお母さんのひざを独占できる、競争がない。2人でも、右と左のひざで仲良くわけることができる。やはり競争がない。ところが3人になったら、おかあちゃんのひざをみんな狙って賢くなってくる。競争原理が働く。自分がそこに座りたい、おかあちゃんのひざに乗っかりたいという競争力をつけるために、3人つくる。」
 すごい発想だが、そこに真理が隠れている。人がもっとも想像力を働かせるのはどういう時かということだ。それは競争をするとき。そして物事が足りないとき。ひざが二つしかない。一つ足りない。そこで足りないものを取り合う競争がおきる。想像力を働かさなければならなくなる。
 ところが、今、必要なものはほとんどそろっている。物だろうが事だろうが、なんでもある時代だ。なければ我慢する、あるいは自分で作ると考えるのが我々世代。いまの世代は無ければ買えばいい。すぐ買えるから我慢もしない。
 むかし、私の生まれた戸隠で子供たちが遊ぶときは、忍者ごっこが多かった。缶詰の蓋を大事にとっておいて、花バサミなんか使って八方手裏剣、十法手裏剣を作ったものだ。最近はコンピュータゲームで遊ぶから、忍者ごっこがなくなった。それでも無理にやらせようとすると、「お金をくれ」という。手裏剣を買ってくるというわけだ。作るなんていう発想はもちろん無い。物があふれているというのはそういうこと。何でも揃っている。何でも買うことができる。だから想像力を働かせる場面がどんどん少なくなっていく。
 仕事の現場でも同じことが起きる。かつて私が働いていたニューヨークのヒルトンホテルは2,200室あった。それを人が手作業で運営していた。コンピュータなどが入ってくる随分前の話だ。つまり2,200室分、チェックインもチェックアウトも手作業で行っていたということ。それがコンピュータの時代になり、今ではコンピュータ作業が当たり前になっている。するとコンピュータがダウンしたらチェックインもチェックアウトもできないというホテルマンが世の中に溢れてしまった。
 我々なら停電でコンピュータがダウンしたら、手でやればいいだろうと考えるのだが、そういう発想すらない。そして「コンピュータがダウンしているので、請求書も領収書も出せないんです」という言い訳が通ってしまう時代になった。想像力が弱くなっていくのも無理はない。
 全てを昔の状態に戻せばよいなどと言っているのではない。そうではなく、すべてが機械化されている時代において、人間にしかできないことは、豊かな想像力を広げるということだということ。自分の想像力だけは、どんなに物事が進歩する時代においても絶対に弱くしてはいけないということ。世の中が便利になればなるほど、満たされていけばいくほど、想像力という、自分の中の大事な力を遣わなくなる。新しいものを見つけ、手に入れる、あるいは知ろうとすることももちろん大事。でも、自分の中にはすでに力があるということを知る。もっと自分の力を信じてもいいということ。もっと自分の可能性を掘り起こすことができるということを知る必要がある。
 村上和雄先生という脳科学者が、「ひとは生まれて死ぬまでの間に、5%しか脳を使わない」言っている。5%しか使わないまま、我々は死んでしまう。だったら、5.5%使ったらどうなるか、5.6%使ったらどうなるか。奇跡が生まれるということ。
 そういうことを自分の中で意識的に考えながらやっていく。いまよりももう少しだけ、考える時間を増やす。少しだけ相手のために時間を使う。そうすれば、おもてなしも、ホスピタリティも特別なことでも何でもなく、誰でもできることだということに気がつく。今より、もう少しだけ気がつけば、もう少しだけ自分が使う前向きの言葉を増やしていけばいいということ。それだけのことだ。それをどう考え、どう行動に落とし込んでいけばいいのか。どうすれば自分の成長につなげることが出来るのか。それを、これから福島先生から、ガッツリと学んでいきたいと思う。
 では、福島先生にバトンタッチをしたいと思う。

2 講演

「お客さまを惹きつける魅力を想像する」
言葉が紡ぎだす、心のつながり~心をつかむ対話~

福島 規子氏

 今日のメニューだが、おおまかにサービスは何かというお話をしていきたいと思っている。ご紹介いただいたとおり、私は立教大学で観光学の学位を取った。そのときの学位の基本的な研究も、今日お話をしていければと考えている。
 皆さんにいろいろマイクを向けながらお話を聞いていきたい。最初に一つルールだが、分からないというのは無し。ちょっと難しいなと思うときは、パスは3回まで使える。それと、サービスの世界には正解はないと私は思っているので、誰が何を言ってもそれは全て正解。自信を持って気楽にお話をしていただければと思っている。

 今日は盛りだくさんに詰め込んでいるので、たくさんノートを取り、学生時代を思い出しながら聞いていただければと思う。
 まず簡単なところから。「サービスとは何でしょう?」皆さん、おもてなしを学んでいらっしゃるので、いろいろな考え方があるかと思うが、あなたにとってサービスとは?

(男性)サービス、何か相手を気持ちよくすること。

 相手を気持ちよくすること、はい、次の方。サービスとは何?

 (女性)一定の満足度を与える。
 なるほど。次の方。

 (女性)プラスアルファ。

 プラスアルファ、なるほど。次の方?

 (女性)心地よい環境をつくること。
 (男性)相手に満足を与えること。
 (男性)心が満たされるという感じで、楽しかったり、うれしかったり・・・
 (女性)感謝の心。

 なるほど。基本的にサービスはただではない。お金を払って買うもの。皆さんおっしゃっていた、本当に相手に対して満足させるとか、うれしくさせる、それは質の問題なので間違いではない。
 まず今日の授業の最初は、サービスとはお金を払って買うものだというところを共通認識としてスタートしたいと思っている。
 サービスとは何か、まず、ただではない。「サービスしとくよ」と言うが、「勉強しとくよ」と言うが、ただということではない。サービスというのはお客様が、サービスをする人がいて、そこにお金を払って金銭の授受がある。なので、サービスをする人はお客様に対して、それと等価交換をする。
 私は由布院「玉の湯」という旅館のコンサルタントを20数年やっているが、ここは1泊5万円の旅館。5万円払えば5万円払っただけのサービスをしてくださいと思う。つまり金銭と等価交換なので、お金を払った方は、サービスをそれだけしてねという権利があるということを主張する。逆に私どもはサービスを提供する側として、それを提供する義務がある。まずはサービスというのは商品だというのが共通認識としてここからスタートしていきたいと思う。
 サービスは何のためにするのかというと、皆さんおっしゃったように、お客様を満足させるためにする。
 私は旅館がフィールドなので、旅館についてお話をしていただければと思うが、お客様を満足させるために、あなたならどうします?お客様はどうやって満足しますか?何でもいい、どんなことでも結構、お客様を満足させるために。

 (男性)お客様が口に出さないことを考えて実行したい。
 (男性)お客様が何を求めているかというのを先回りして対応する。

 なるほど、お客様を満足させる、満足させるのはどういうことかというと、実はサービスには2つ種類がある。1つは人が物によって満足させる物的サービス。それと人が何かをして満足させる人的サービスの2つがある。
 例えば、布団のシーツがある。そのシーツはやっぱり汚れていたら嫌。なぜホテルのタオルは白いのか。なぜホテルのバスタオルは白いと思うか?
 色として、茶色だったりするところもあるが、なぜ白いのか?

 (男性)基本的には汚れた状態で使いたくないから。

 だから汚れが目立つように白い。だが、それが洗ってあってもくしゃくしゃとしていたら嫌なもの。だから、まず物によって満足させるためには、それが清潔であることが大事。
 そして、品質が優れているものであること。ぐちゃぐちゃになっていたら嫌である。そして安全で安心に使えるものであること。
 実は、お客様を満足させるというのは、ただ人が何かをやっていくだけではなくて、もうちょっと基本的にそれ自体が当たり前に清潔で、当たり前に品質がよくて、当たり前に安全でなければお客様は満足しない。
 これをハーズバーグがいう衛生要因という。衛生は生きるという方の衛生要因。もうちょっと言うと、あって当たり前。つまり、それがあって当たり前なので、ホテルのリネンはきれいで当たり前。で、私たちの旅館も例えば浴衣はきれい、洗ってあって当たり前。ところが、何かお客様を満足させようと思うと、大概、いろいろな浴衣を、お色とか柄が違う浴衣を選べるようにしようと考えたりする。
 これも物によってお客様を満足させる方法だが、色や柄を選べるようにしましょうというのは、これは動機づけ要因という。ハーズバーグの言うところの動機づけ要因。どういうことかというと、これはあったらいいなである。あったらいいな、あったらそれを選択しよう、選ぼう。だから、露天風呂付きの客室というのが今流行って、旅館では多い。露天風呂のついた客室は、昔はあったらいいなだったのが、だんだんそれがあって当たり前になっていく。例えば歯ブラシは、旅館やホテルに行くとあったらいいなだったものが、あって当たり前になっている。で、ついついサービスというのを商品として考えてきたときに、動機づけ要因を一生懸命考えてしまう。こんなことを、あんなことをしようと、プラスのことを考えてしまう。
 では、ちゃんと色柄を選べる浴衣の前に、普段普通に提供している浴衣の品質は落ちていないのか?もう洗い過ぎてぼろぼろじゃないのか?紐も、なぜこの旅館の紐は五角形に折ってあるか知っているか。五角形にこう折ってある。ビジネスホテルなんかもそうかもしれないが、なぜこう五角形に折ってあるのか。なぜかご存じか。
 要するにしわを伸ばすため。旅館の帯は洗わない。寒くなってくると、ちょっと上にかけたりするものがあるが、あれは半年に一回しか洗わない。最近はファブリーズとかやっているが、個人的に、私は旅館に仕事で行くが、ああいう茶羽織とかは着ない。なぜかというと臭いから。
 浴衣のここにしわが寄っていたりすると、ああ、これは洗わないどころか、納品されてから一度も、要するにくたくたになるまで買いかえないので、結構微妙なところがある。まあそれは裏話なので。そういう浴衣のあるところはいかがなものかと思うが、否もあるところなので。
 つまり品質や清潔であることが大事で、それは衛生要因というのと、あって当たり前という動機づけ要因。動機づけ要因はそれが当たり前になってくると実は衛生要因になっていくというように、実は物的サービスによって人は満足しているのだということがある。
 もう一つ、では人的サービスとは何か。人的サービスというのは、人が何かを行うことによって満足させる方法。今、ここにグラスがある。チップもしていない(私たちの業界用語で、ちょっと欠けていることをチップと言う)、きれいなグラスがある。このグラスに素敵な南アルプスの天然水を入れる。大体、水を入れるときは7分目ぐらい。あまり並々と入れないほうがいい。
 今、ここに水が入った。すごく暑い日にキンキンに冷えたこのお水が、例えばロビーの周りに並んでいて、水滴がつくぐらいに本当においしそうに置いてあって、「ご自由にどうぞ」と書いてあると、それだけで満足する。物によって満足するので、そこには「いらっしゃいませ」という笑顔もないし、声かけも何もない、ただ物が置いてあるだけで満足する。
 では、人的サービスとは何か。人的サービスというのは、人が何か行うことによって満足を提供すること。人的サービスとは、人の行為によって満足を与えること。
 今から私が人的サービスをお見せする。生産する。こちらにお客様がいらっしゃる。お客様にお水を出すときには、右利きなので、大概右側に出す。グラスを置くときに、小指をちょっと下に置いて、小指から静かに置くと、音が出ない。今、これは人的サービスが生産された瞬間。にっこり笑って「どうぞ」と。そうすると、もらったお客様は「ありがとう」と消費する。人的サービスは生産と同時に消費される。人的サービスの一番大事な特性は、生産と同時に消費されること。
 「どうぞ」とにっこり笑って出した。正しく生産されたサービスは正しく消費される。記憶に残らない。ところが、こちらのお客様に、後ろを向きながらポンと置く。ムッとされる。つまり、正しく生産されないサービスは正しく消費されないので記憶に残ってしまう。言いかえれば、いいサービスは記憶に残らないが、悪いサービスは記憶に残る。にっこり笑って「はい、どうぞ」と言って、「ありがとう」と言ったとき、あのお水の出し方はすばらしいなんて思わない。ところが、打ち合わせをしているときに、ポンと雑に出せられると、打ち合わせはピタッととまって、何?サービス悪いと思う。
 正しく生産される、その人的サービスには3つの条件がある。正しく消費されるためにはまず正確であること。お客様が右側にいるわけだから右側に、しかも丁寧に、静かに、しかも迅速に置くこと。「お水ください」と言われてから30分後に持っていっても正しく生産されない。1つ目、正確であること、2つ目、丁寧であること、3つ目、迅速であること。
 なので、いいサービスは生産と同時に消費されて記憶に残らないので、お客様は何となく「いいね」と思う。私が担当している「玉の湯」という旅館、一番いい褒め言葉は、「玉の湯って何がいいのか」と言ったとき、「いや何となくいい。何となくいいから。」と。「玉の湯」の中には、いろいろ埋め込まれた玉の湯マジックみたいなものがある。もう20年前、最初に行ったときに、実はJTBが90点以上の宿というのを表彰していた。通常、コンサルタントの仕事で、75点を85点、90点にするのは意外と簡単。何が悪いというのが分かるから。ところが、「玉の湯」に呼ばれたときに、「玉の湯、98点なんですけど、ここのところずっと96点で、どうしたのかしら、この2点」と言われて、エーッと思い、96点を98点にしろと言われたときに、いや私には・・・と思った。
 まず最初にお茶を出された。それまでは加賀屋のような純旅館というところに行っていたので、蓋つきの焼き物でお茶で出されるのがお茶だと思っていた。ところが、どう見ても、「玉の湯」のお湯のみはそばちょこであった。でも初体面で「これってそばちょこですよね」と言えないので、何かそばちょこのような素敵な器と思いながら、お茶をいただいた。
 「それでは、まずお部屋でおくつろぎを」と言われて、お部屋に連れていってもらった。鍵を渡された。その鍵の形が、またちょっと変わっていて、木だったが、ちょっともたっとして薄くなっていて、紐がついている。房がついていて、鍵がついているのだが、握るととても握りやすい。「むらさき」と部屋の名前が書いてある。
 それで、何かかわいいけど握りやすいなと思っていた。それでよく見たら、何かに似ているなと思った。実はこれはバターナイフだった。なかなかおもしろいなと思っていて、それでテラスのところに灰皿が置いてあって、その灰皿も、これ灰皿か何かかな、灰皿のようだなと。場所的に灰皿なんだろうが、よく見ると、焼き物のおろし金だった。大根おろしにするおろし金。勇気を持って、「これ、もしかしたら大根おろしとかするものなのでは?」と言ったら、「いいじゃない、このほうがたばこ消しやすいし」と言われて、ハーと思って。
 つまり、おもてなしというのは、なぜ湯のみじゃなくて、そばちょこで出すのかと。そばちょこって器が厚い。お煎茶の器って、すごく立派というか、薄い。そうすると、お煎茶の温度というのは大体100度Cで出すものではないが、寒い由布院に来たときにその熱いのを、あったかくなりたいと思ってもなかなか持てない。ところが、その湯のみのかわりのそばちょこだと、手に持ったときにゆっくりとあったかさが伝わってくる。何か凍えていても、ほっこりするというか。そのそばちょこに合わせて茶托を特注で作っているが、その茶托が15,000円するという。エッと思った。
 そういうところが、玉の湯マジック。おかみさんと二人であるとき、下の土間が大分傷んできたのでやり替えていた。私とおかみさんと歩いていて、コンクリートを塗ったばかりだったので、「入らないでください」というのを立てていた。そろそろ、もう1週間だから大丈夫かしらと言って、二人で見に行ったときに、野良猫がいて、野良猫がバタバタと歩いていて、渡ってしまった。真ん中に猫の足跡があって、アッと思って、私とおかみさん二人で、ああ、またやり直さなきゃと言っていた。そうしたら、3人ぐらいの女性のお客様が、ダダダと来て、その前にしゃがんだ。何かスマホを持って「ああかわいい」と言って。何だろうと思ったら、こんなところに猫の足跡って言われて、いやいやそれは失敗したんだから、今から無くなるんだよと思いながら。
 だから、ある程度お客様の信頼を得てくると、何をやっても「ああ玉の湯だからね」というふうになってくる。でもそれを発見する、そのサービスというものがこんなところにあると、例えばそれは物的サービスだったり、人的サービスであったり、そういう見えないところ、数えていく楽しさというのが実はサービスにあって、わかりやすいサービスは逆にマネされやすい。コモディティ化してしまう。コモディティというのは要するにマネされてしまうということ。だから、コモディティ化しないように、実はサービスというのは提供していかなければいけないという話がある。
 さっきの条件の話の続きだが、サービスは生産と同時に消費されるというのがあった。それともう一つ、サービスの特性で、こちらのお客様に出した出し方がとてもよかったので、こちらのお客様にも同じように出そうと。サービスは非貯蔵性、取っておくことができない。こちらのお客様が喜んでくれたからこちらのお客様も必ず喜ぶだろうとは限らない、異質性である。
 なので、サービスというのは取っておくことができないし、その場で消えてなくなるものだということを、まず人的サービスとして理解していただきたい。
 サービスは非貯蔵性であり、無形性。形がない。それで同時性、同時に消滅するので、生産と同時に消費される、それと消滅性。
 サービスというのは、同時性があり、消滅性がある。生産と同時に消費される。非貯蔵性、取っておくことができない。そして異質性。Aさんはいいと思ってもBさんはいいとは思わない、異質性。最後に無形性である。つまり形のないもの、それにあたかも形があるように私たちはお金を払って、それを提供して、それにお金を払うようになっていった。
 人は人の行為によって満足をする。これが人的サービス。対人サービスの特性を申し上げた。サービスは生産と同時に消費される。悪いサービスは数えられるけど、よいサービスは数えられない。
 土湯温泉のとある旅館に行っている。先週も行っていたが、そこはリーズナブルな、15,000円ぐらいの大型旅館。大型観光旅館なので、お客様がお見えになるとそこでチェックインをする。「斉藤様いらっしゃいませ。」まず名前を書いてもらう。その次に係に連絡をする。タワー館というほどでもない、7階建てだが、4階で控えている係に「斉藤様がお着きです」と言って係を呼ぶ。係が来て、そこでお荷物を持ってお部屋に案内するというのがルールであった。
 ところがあるとき、新入社員が「かしこまりました。それではただいますぐご案内いたしますのでロビーでお待ちくださいませ」とご案内をした。70歳近いご夫妻だったのだが、そのときはすごく忙しくて、どんどんと次のお客様も来ていた。
 ちょうど3時ぐらい。今日は忙しいなと思い、上の係に連絡をしなければいけないのだが、次のお客様が待っているので、連絡をするのを忘れてしまった。あっと思って気づいたときには、もう30分過ぎ、40分過ぎて、やばいと思った。それで電話をした。「あつこさんごめんなさい、あつこさんが担当された斉藤様お見えです」と言ったときに、上で待っていた係は、もう30分も40分も同じように待っているので、もう斉藤さんお見えですと言ったときに、下のフロント係は、「お待たせしたので、ごめんなさいよろしく」と言おうと思った。ところが、上はもう焦っているから「わかった、すぐ行く」とガチャンと電話を切って、降りてきた。フロントから鍵を預かり、あのお客様ねと言って、もうフロントが鍵を渡すときに、「30分お待たせしているよ」ということも言う間もなく、タタタとお客様のところへ行って、あろうことか、あつこさんはそのお客様に「大変お待ちいたしておりました」と言ってしまった。
 「大変お待たせいたしました」ではなくて「大変お待ちいたしておりました」というふうに言った。それでお客様はキョトンである。「お待ちいたしておりました」って何?と思ったのだが、そこでお客様は何も言わず、ちょっと嫌な感じ、これをコンプレインという。ちょっと嫌だな、でも声に出すほどじゃない。わかりましたと部屋までご案内をした。
 あつこさん、新入社員だったのでもう本当に一生懸命、お客様をご案内するという態度はあったのだが、お部屋にご案内をして、その後、立て板に水のごとくというか、もうマニュアルどおり、「それでは簡単ではございますが、お部屋のご案内をいたします。お浴衣でございますがあちらのクローゼットの中にあります。もしサイズが合わないようでしたら、フロント9番にお電話をくださいませ。冷蔵庫でございます。入り口入られたところにございます。自動精算性でございます。恐れ入りますが、朝7時に一旦施錠をいたします。その後、お使いのときには、恐れ入りますがフロントにご連絡くださいませ、お夕食でございますが、お部屋に7時半と伺っております。7時半になりましたらお持ちいたしますが、よろしゅうございますでしょうか。お風呂でございますが、大浴場、24時間何時でもお入りになれます。以上でございます。何かご不明な点がございますか」と、本人は後から聞き取りをすると、ちゃんと説明したと言うのだが、お客様は「何も言われていない、何を言ったか聞いていない、わからないと。」と。
 お客様は多分、そのとき「ああ」と多分おっしゃっていて、そのときは何もお叱りをいただかなかった。その後、女性のお客様がお風呂に入られたときに髪を洗っていて、カランの前にお湯がたまってくると。えっと思ったら、カランの端っこから、お湯がザーッと流れていかなくてたまってしまう。なんだろうと思って見に行ったら、髪の毛がぎっしり詰まっていたと。アッと思って、そのお客様、何とお掃除をしてくださったらしく、それで流れたと後で言われた。
 女性のお客様は、それでもお風呂に入って山並みを見て、ご主人と二人で来たんだし、怒らない怒らないと思って、外で男湯から出てきたご主人様と待ち合わせをしてお部屋に帰ってきた。あつこさんはお部屋出しなので、見ている。パンドリーからパッと見ていて、帰ってきたと思って、「お風呂上がられましたか。ではすぐに熱い天つゆをお持ちします」と言った。そこでもお客様は「えっ?」と思ったらしい。熱い天つゆの意味が多分お分かりになる方は、旅館によくいらっしゃっている方だと思う。
 それでお客様は、「何で熱い天つゆ?」と思って部屋に入った。そうしたら料理は全部並んでいて、膳かけといって、お料理に埃がかぶらないようにお膳紙といって、上にお膳にかけている紙があるのだが、お膳紙だけをパッと取ると全部並んでいて、てんぷらがあった。てんぷらを触っても、当然、冷たい。なので、その係は気を利かせて、冷たいてんぷらを少しでも温かく召し上がっていただくように、温かい、すぐに「熱い天つゆをお持ちしますね」というふうに言ったと。何て気配りのできる人だろうと思うが、なら最初から熱いてんぷら出せよと思う。
 そのときに、私たちの業界用語で、「ぶっかけ」という言葉があって、おつゆとご飯のときになったときに、止め椀とお味噌汁とご飯を持ってきた。そのときに手もとがくるって「ぶっかけ」といって、ちょっとこぼしてしまった。お椀を「あっ、すみません」と言って。こぼしたときに、最初にどうするかというと、「申しわけございません。お怪我はございませんでしたか、やけどしませんでしたか?」と聞く。「ああ、大丈夫」と。「では、すぐにおしぼりを」と言って、その係はパンドリーに行っておしぼりを持って、それでお部屋にお伺いして、「どうぞおしぼりをお使いください」と。パントリーでチーフが聞いた。「大丈夫だったの」と。「浴衣がちょっと濡れただけですから」と。ちょっと濡れても味噌汁くさい浴衣というのは嫌だろうなと思うのだが、「いやいや、ちょっと濡れただけですから」と彼女は言って。それで持っていったのだが、もうお客様は仁王立ち。そこで、もうとにかく係を出せ、支配人、社長を出せと。仁王立ちで、とにかくもう怒り心頭。
 よくお客様にコンサルをしていると、そういうときのクレームの処理はどうしたらいいかと聞かれるが、物の本には、人を変える、場所を変える、時間を変えるとある。人、時、場所を変える。
 だから、いくらそこで怒っているときに同じ人が謝っても、もうその人の顔を見ているだけでいらいらするわけなので、まず人を変えて、場所を変える。もうぐちゃぐちゃのお膳の前に行くと、また思い出して「ああ」となるので、ちょっと下のフロントへ。時間を変える。ちょっとコーヒー一杯飲んで少し落ち着くまで待ってと。でも、実際そうなったらどうにもならない。唯一の方法は謝るだけ。平謝り。
 なぜクレームが出たのか。つまり、クレームというのはコンプレイン、小さい苦情の積み重ね。話を聞いていると、あそこで待たされた。館内を歩いていても誰もあいさつもしてくれない。料理は冷めている。お風呂は汚い。挙句の果てにぶっかけをされて、「大丈夫ですか」の一言もない。一体何なんだ、この旅館はと。
 だから、一つ一つ、正しくサービスが生産されて、正しく消費されていれば、全く問題なく、お客様はお喜びになったと思う。ところが、正しく生産されないサービスはコンプレインをもたらす。コンプレインは積み重なるとクレームになる。クレームを出さないためにはどうしたらいいのか、つまりコンプレインを出さない。コンプレインを出さないためにはどうしたらいいのか、サービスを正しく生産する。
 クレーム、それはコンプレインの積み重ね。まずは不満を抱かさないということが大事と考えている。
 それでは、サービスについて分類をしていきたいと思う。
 対人サービスは4階層分類。学者の世界というのは、いろいろな人の考え方、理論なんかを援用する。援用して話を作っていく。マズローの4段階欲求説、欲求5段階説というのがある。段階説、最初が性的欲求で、第2段階が安全・安心、第3段階がどこかに所属をしたい、愛したい、愛されたいという欲求などがある。
 1つ目が、つまり性的欲求は食欲とか、排泄欲、睡眠欲、人は1つ目のこの性的な欲求を満たされると、次の欲求を求め始めると言われている。私は仙台出身で、震災も大変だったが、震災のとき、一番は食欲とお手洗いと寝るだけということだった。
 うちの母が岩沼市まで流された。何千人と流されていたのだが、食事をするのに避難所みたいなところに行った。そこに学生が来ていた。1週間、2週間ぐらいしてからだと思うが、皆被災した人は気が張っているので、「ああ来てくれてありがとう」と。そうしたら、そこの学生が一人「何だ、みんな元気じゃん」と言った。結構、母はそれでショックを受けて「えっ、どういうことなの」と。だから、彼らにしてみれば、心が沈んでいて静かな人たちに傾聴、話を聞くというボランティアで来ている人たちなので、何だ元気じゃないかと。皆元気に振舞っているだけなのに。もう避難所には行きたくないと母は言った。
 安全・安心の欲求、今度は食べたり寝たりできるようになると、今度は危険や不安から逃れたくなり、今度は集団への帰属意識が上がり、他人から注目されたいとか尊敬されたいと思うようになってくる。目標に向かって自分を高めていきたいというふうに考えられる。
 このように欲求というのはだんだんとあって当たり前。先ほど申し上げた動機づけ要因と衛生要因からいうと、衛生要因。この第1段階、第2段階というのは衛生要因。あるとうれしい、褒められるとうれしい。この衛生要因と動機づけ要因によって欲求度というのは上がっていくと考えている。
 これをさらに、サービスの仕方について考えてみる。まず一番下の段階というのが、言われたらするサービス。だからここで求められるのは、「お水を持ってきて」と言われたときに、相手がお水を持ってきてくださいということを言っているということが分かればいい。これはアルバイトでもできるし、日本の方でなくても、何を言っているか分かれば、ここには特に特別なスキルは求められない。
 その次の段階になってくると、その人の動作を見て何を求めているのかが分かる。例えばたばこの煙がついている、灰がついているのを持って何か探していたら、何を探しているか?これは多分灰皿である。火のついていないたばこを持って、探していたら、それはライターを探している。何か記号化することによって、その人が求めていることが分かる。例えばこうやってテーブルで手でバツを作って示したら、チェック、お会計だと分かる。そういう動作を見て認知していく。
 3つ目、タイミング、さらにもう少し高度になってくると、タイミングを見て、そのサービスが果たしてそれがいいのか、お客様が満足しているのかどうかということが分かってくる。
 レストランでご夫妻がお見えになった。多分、ご主人様はお医者様からお酒を止められていた。だけど、奥様はとてもご機嫌がよく、「お飲み物はいかがなさいますか」と聞いたときに、「ではビール」とおっしゃった。最近、女性のお客様もがんがん飲む。男性の方は何かそれにふふんと。「燗一本つけて」と言った。そのときに男性のお客様がこそこそと浴衣の上に着ている茶羽織の羽織のところからお薬を出した。それが、サービスのスタッフの目の端っこに入った。彼女はお薬が出たなと思った。「お客様、熱燗ですね、かしこまりました」といって、パントリーに帰って、ビールと熱燗とお水を用意して、それでお席に向かいました。「お待たせいたしました。こちらビールでございます。こちらお酒でございます。燗をしてまいりました。こちらお薬用のお水です。」と言って出した。
 そこで奥様がハッとして、「薬用の水?エッ?」となって、「そうよ、あなた薬を飲むんだから、お酒飲まないって言ったじゃないの!!」と怒り出した。
 そして、奥様とご主人様が言い争いを始めてしまった。当然、それを見ていたスタッフ、私は悪くない。お水を持って行っただけと。当然、黒服は、あのお客様、何か大きい声を出しているけど何か失敗したのかと思う。私どもの者が何か粗相をと思ったが、その係は「私は関係ないし、お薬があったからお水を持っていっただけ、私は何が悪いんですか」と言って。ほかのお客様がいらっしゃるので、ちょっと静かにしてと言いたいが、そうは言えない。「大変失礼いたしました、私どもが」と。そういうときは、私たちの業界では、悪者はお客様でない。お客様同士が喧嘩をしていても、そうそう私が悪いんですというのが私たちの業界。なので「申し訳ございません」と言った。
 でも当の本人は、「悪くないし。だって薬あったから水出した、何が悪いんですか」と言っている。そのお客様が帰るときに、男性のお客様が一言、捨て台詞で「チェッ」と舌打ちをされた。「チッ、タイミングの悪いやつ」と。今持ってこなくてもいいのに、もうちょっと読めば、いつ持ってくればいいか分かるだろうということを言われている。当の本人は分かったかどうか分からないが。
 その後、もう一つ、玉の湯のお姉さんだが、同じようなお薬の問題、事件があった。そのお客様はお部屋出し、お部屋食を出しているお客様。お部屋に出したときに、次の日の朝食も、お部屋で出す。そのときにお食事が全部終わって、お客様は何のお薬も何も出していない。そのときに、「よろしければこちらどうぞ」とお薬用のものを出した。それから、そのお客様はお薬を出したので、自分がお薬を飲むということは全然見せていないし、しかも、それはお水ではなかった。「お薬でしたらこちらどうぞ」と。すばらしい、さすがです。白湯。触ったときにちょっと人肌というか、冷たくなかったので、ああすごいなと。
 どうして分かったのか?後で係が聞いたら、いや、実はあのお客様は前の日に担当したときに、お夕食のときに、たくさんお薬を服用なさっていて、多分、それだけ飲むということは常に飲んでいらっしゃるので、明日の朝も多分飲むんじゃないかなと思って準備をしていたと。なるほどと思った。
 そのように、サービスというのは、お客様の行動を推察しないものと推察するものに分けられる。この一番下のサービスを言語的非共感性サービスという。だからここは、相手がどうして欲しいなんて共感しなくてもいい。水を持ってきて欲しいと言われれば持っていく。この人、水欲しいのでは?ではない。
 3つ目の直観的共感性サービスの観だが、この観というのは、第六感の感ではなくて観光の観。これは本質を見るという意味の観。だから中身をちゃんと、どうして欲しいのかと読み取るというのが観。
 一番上、文脈的共感性サービス、この下の2つが非共感性サービス、つまり共感性がなくても、共感がなくても分かる、できるサービス。
 もう一つ、この上の2つが共感性サービス。相手がどうして欲しいのか。最初に皆さんがおっしゃってくださったのは、相手がどうして欲しいのかというのを見て、それで行うのがサービスだとおっしゃったが、「いらっしゃいませ」というのは別に共感性はない。
 何かホットワインがあるからホットコーラもあるかなと。ところがそういうのは全く要らない。それでもお客様はサービスという商品を購入している。必ずしもそこは相手のことを思ってないサービスも実はある。
 私の今回のこれからのお話は、おもてなしというのはとにかく文脈的共感性サービス、皆さん最初におっしゃった、その状況であったり、その相手がどうして欲しいのかというのをまずは読み取って、それでどのようなサービスをしていくのかというのが大事だという話。

 では次に、向社会的行動の話をしていく。
 向社会的行動、社会心理学の中に向社会的行動というのがあるが、向社会的行動とは何か、基本的に相手のことを思ったりする行為のことを向社会的行動という。
 この研究は意外と新しく、1960年代だが、アメリカの21歳の女性が白昼、大きな公園の中で強姦されてしまう。要するに捉えられて、男に刺され強姦される。ところが、それを見ていた誰一人として助けに行かなかった。真昼間なので、周りには人がいた。アメリカ人がたくさんいた。しかも周りにアパートメントがあった。キャーと言ったときに見た。見たが、誰一人として助けに行かない。誰一人として警察を呼ばない。誰一人として救急車も呼ばなかった。血まみれのままそこで倒れている。当然、これは一体どういうことなんだと、社会心理学者だけではなくて、アメリカの人たちは、アメリカ人、僕たち国民はどうなってしまったんだと。それをきっかけに、人を助けるというのはどういうことなんだろう、どうして人を助けないんだろうということを研究するようになった。
 同じような事件はサンダーバードでも起きた。サンダーバード、深夜の特急列車の中で、40人ぐらい乗っていた。女性が一人で乗っていて、その一人乗っていた女性のわきに犯人の男が来て、それで刃物をちらつかせ強姦をし、トイレに引きずり込んでという事件があった。
 ところが、そこに乗っていた40人は誰一人として、当然、そこを歩いた人がいるのだが、誰も車掌に連絡をしなかった。何かちょっと恋人同士がもめているのかと思ってとか、でも、彼女にしてみればもう嫌がっているわけである。何するんですかと。いくら刃物を見せたとしても、引きずり出されている。なぜそこで人は声をかけないのか、なぜ助けなかったのか、あなたなら助けますか。

 (男性)助けると言いたい。
 (男性)難しいですよね。自分が巻き込まれてしまう。
 (男性)そうすると巻き込まれるんじゃないかという、どう助けられるかということで。

 そういうのを傍観者効果という。やっぱり自分が巻き込まれるのは嫌だとか、それは要するに、見なかったことにしようとか、傍観者効果というのが働いてしまう。
 やっぱりそれでも助けなければいけない。では人が助けるというのはどういうことなのかという研究が進んでいき、社会的行動の条件というのがあると。困った人を助ける、援助行動、ヘルピングビヘイビア(Helping Behavior)と言うが、このヘルピングビヘイビアというのは困っている人に対して行う行為。外発的報酬を求めない。外発的報酬というのはお金だったり地位だったり。そういうのを求めない。
 人の向社会的行動というのは、広く言えば、相手のためを思って行う行動で、援助行動というのがある。このヘルピングビヘイビアというのは困っている人に対して行うもので、お金をもらって行ったり、社会的地位がほしくて行うものではない。
 2つ目、コストをかける。自分の時間やお金を使って、その援助行動を行っていく。
 そして最後が自発的に行う。自ら進んで行っていく行動、これが援助行動。
 この援助行動というのは、困っている人に対して行う行動。荷物が重そうだったりとか、例えば、困っていると思ったら、それ助けてあげようと、日本語で言うところの思いやりというもの。
 もう一つ、この援助行動は、外発的報酬を求める。コストをかけて自発的に困った人を助ける行動があるのであれば、実は困っていない人を助ける行動、もっというと、困っていない人をさらに喜ばせる行動、それが配慮行動ではないかと考えた。
 この配慮行動をコンシデレイトビヘイビア(Considerate Behavior)というが、このコンシデレイトビヘイビアで私は学位論文をとった。配慮行動というのは、一般的かどうか、私がつくった造語だが、海外でも発表している。コンシデレイトビヘイビアというのはマレーシアでも発表し、マレーシアの国立大学の論文集にも載ったりしている。
 この配慮行動だが、配慮行動は相手を肯定的感情に導く、相手に肯定的感情を導く向社会的行動。つまり困っていない人に対して行う。私たちのサービス業なんかはまさにそう。困っている人に対して行うのが思いやりであれば、こちらはわかりやすく言うと気配りとか。だから、日本語はすごいなというのは、ちゃんと思いやりと気配りというのを使い分けている。なので、配慮行動、つまり気配りの効く人だと例えば何かしたときに、あの人、思いやりがあるねと言わない。
 条件は同じ。外発的報酬を求めず、コストをかけて自ら進んで自発的に行う。この配慮行動というのが、実はもしかするとホスピタリティととても類似性が高いのではないかというのがだんだん分かってきたという感じ。
 では、この配慮行動についてもう少し詳しく。配慮行動とは実は暗黙知。暗黙知というのは言葉では語れない知識のこと。ポランニーという人が言っているが、言葉では語れない「知」。
 野中郁次郎さんという方が「知識創造企業」という本を書き、アメリカでベストセラーになり、日本でもベストセラーになった。日本のものづくりの原点は暗黙知になると言っていたが、暗黙知というのは言葉では伝えられない。それを説明する前に、暗黙知というのは何か。
 今、目の見えない人が白杖を持って立っている。このときに、この人が持っている杖というのは意味がない。杖を握ったときの感触しかない。ところが、こう歩いていって何かにカツンとぶつかった。そうすると、その、この杖は意味を持つ。つまりコツンと当たると、ここに石があったと伝わってくる。それを、例えば犬の糞だったら、柔らかいな、何か犬の糞があるなと意味を持つ。この杖の先にコツンと当たって手元に杖の先の衝撃が伝わって、ここで石があると分かった。つまり、この遠いところを遠隔項、近くを近接項と言う。
 目の見えない人に、あそこに石がある、犬の糞があると伝えるときに、どうやって伝えるかというと、この杖で「ほらほらあるでしょう」と伝える。言葉ではない。つまり知識の知というのは、言葉では伝えられないものが実はあるという話。
 さて、私たちの現場の話。とっくりを触ったときの感覚、これ近接項。とっくりを持った。これ「石葉」という8室の旅館、湯河原にある。ミシュラン2つ星、旅館で初めてミシュランをいただいた。とてもおいしいお料理なので、ぜひ。1泊5万円から。
 とっくりを持ったとき軽かった。とっくりの重さ。でも軽いと彼女が思ったときに、彼女はとっくりの重さの感覚、この遠隔項、満杯だったときの重さを知っている。だから、持ったときに125ミリリットルある、25ミリリットルしかない、25ミリリットルしかないではなくて、あら軽いわ、残り1杯ぐらい?というのは、このときに分かる。これは言葉では伝えられない。どうやって伝えるか。持ってみてと言う、持ってみてと。
 実はこの「持ってみて」という、今度は暗黙知が内包された配慮行動なので、とっくりから、先の残量を知るから、もう持ったときに「あらもう、もう一本お勧めしなければ」と思っているわけである。これを持ったときに既に、お客様に言われる前に、「もう一本いかがですか」と聞くことができる。この暗黙知を内包された行為、これが配慮行動として生産される。で、この配慮行動はどうなっていくか、サービスが今度は商品化されていく話をしていく。
 まずこの状態(履物が揃っていない写真を見て)についてどう思うか。だらしないなとか、履物をそろえるのは心をそろえること、椅子をちゃんと入れることは心をそろえること。本当にだらしないなとか、履きにくそうだとか、美しくないななどと思う。
 実はこの気配り、いわゆる配慮行動。配慮行動が実行される瞬間、この人は、「あら、ちょっと1列に揃えるといいんじゃないかしら」と思って、1列に揃える。なぜか、彼女は1列に揃えるときれいだということを知っていたわけである。それで「こうするといいわよ」、暗黙知が内包されて自発的に行動して、配慮行動で1列に揃えた。
 1列に揃えて、今度は、自発的に行われたこの配慮行動というのを家でやったら、自宅にお客様が来たときに、それは気が効くねとなる。ところがサービスの接客の現場で行われると、これは配慮行動を伴うサービスとなる。現場で、配慮行動がお客様のために行動する。つまりお金をもらってする行動なので、このようにきれいに上がりかまちのところに並んでいるのを見ると、「あらサービスがいいのね、おもてなしができているわね」と言われる。
 つまり、配慮行動というものが配慮行動となるサービスとして商品化されたときに、大きな二等辺三角形で示す。ではこの配慮行動を伴うサービスは、どのように標準化されていくのか、みんなが同じサービスをする段階になる。
 まずこの配慮行動を伴う、「Aさんがやりました。」そうすると、みんなは、「あれいいんじゃない。うちで私もやろうかしら。」と。「素敵ね。ああするとお客様は気持ちいいね。」と思って、ほかのチームのメンバーが模倣する。模倣すると、AさんだけやっていたことがBさんもCさんもやるようになる。そうすると、この暗黙知化されていたものが、実は形式知化する集団内でルール化されマニュアル化されていく。つまり標準化されたサービス、サービスが標準化していく。
 あの人は気配りができるけれども、あの人は気配りできないねという人がいるかもしれないが、それはその人が気配りできるかではなくて、その気配りできる人を、真似できるか、できないか。だから、いいサービスの集団というのはアンテナがみんな高い。だから、その人がいいことをやった後をほかの人も真似をする。
 ここでのポイントは、配慮行動が生産された。それは他者の模倣が起こり、それが集団の中でマニュアル化され、形式化されることによってサービス化された商品となる。いいサービスというのは、まずはこの標準化されたサービスがどれくらいあるか。
 では、配慮行動の進化モデルについてお伺いをしたい。さらにこれは進化をしていく。新しいサービスが誕生する。(下駄が、上がりかまちにぴったりと付けられて揃えられている写真を見て)ぴったりだと履きにくい。なので、どうしたらよいだろうか。上がりかまちをどうするか。
 ちょっと10センチぐらい上がりかまちから離せばいいと。1列に並べましょうというのを標準化しマニュアル化したが、この標準化されたサービスに、実はもう一つ配慮行動、10センチ離すという配慮行動が付加されて、ここの旅館では配慮行動のサービスは、ただ並べるだけじゃなくて、10センチ離して並べるといいねとなった。
 では問題。この状態をさらに進化させてみる。どうするか?ちょっと離す?いいですね。一足ずつ、ちょっと離しておくといいかもしれない。
 このように、実はこの配慮行動を伴うサービスは、これが標準だったサービス、みんなが模倣して、これいいんじゃないのとなったときにマニュアル化された。標準化されたサービスになり、さらにもう一つ、離したほうがいいという配慮行動が付加されて標準化されたサービスになり・・・ということの繰り返し。
 さて問題。このサービスをさらに進化させてみる。どうでしょうか?

 (男性)右足をちょっとずらす。

 ちょっとずらす、その右足の理由は?

 (男性)右足のほうが先に履くから。

 右足のほうが先に履く?

 右足のほうが先に履く、なるほど。
 どちらかを先にするのは正解。多分、右足のほうから履くでしょう。
 全然話が違うが、東京で地下鉄を歩いていると「左側通行でお通りください」と。今、北九州に出張して、北九州に行くと「人は右」と書いてあって、「右側を歩きましょう」と書いてある。なぜ東京では、左側通行なのだろうか。
 人は右利きが多いので、急いでいると右足のけりが強くなる。だから自然に左、左に人は寄っていくので、左側通行にしたほうがどんどん人が流れる。
 私たちサービスの世界では、そういう人の動きによって決まっていくことがあって、旅館も昔は左側だけが避難通路だった。今は消防法で両方向になっている。両方向に、避難通路は法律で決まっているが、昔は左だった。なぜかというと、人は出たときに左側に逃げる。だからよく、犯人を追いかけてきて、犯人役の人が一生懸命走っているのに右側に逃げたりすると、ああやらせだなと思う。
 そういうのをアプリオリの知識。アプリオリな知識。
 アプリオリな知識は、知らず知らずのうちに身についている知識で、以前、人間ウォッチングみたいな番組で、緩衝材を部屋の中に置いて、打ち合わせをするのでちょっと待っていてくださいといって、そこにいろいろな人種の人を入れた。日本人とか、イスラエル人とか、韓国人、中国人、アメリカ人、ドイツ人、いろいろな人を入れて、一人ずつ入れた。しばらくして、お待たせしましたと。だけどその実験は、そのプチプチをどこの国の人は潰して、どこの人は潰さないかという実験になっていた。
 プチプチを潰さない人種、潰す人種というのはどう思うか?
 結果は、全員が潰した。もう全ての人が。あれを見ると、潰したくなる。多分、皆さんの中であれを絶対潰したくならないという人がいたら、私は話を聞きたいが、本当に潰したくなると、それは誰かに教わったわけでもない。だから人はボタンというのを押したくなる。
 だから非常ボタンというのは、非常のときには押す。非常のときには引かない。だから、意味なくピンポンダッシュしたりとか、意味なくボタンを押したくなる。ボタンというのはすごく大事だという話があって、そういうアプリオリの知識があるという話。
 実は玉の湯なんかもそうだが、上がりかまちがあって、昔は、ご存じのとおり、日本は湿気が多いので、地べたにいきなり畳は引かずに少し家屋を上げて建てていた。だから、料亭なんかでは、上がりかまちというか、少し高くなっている。上がる前に、ここに石が置いてあると思う。または石とか木だったりする。石葉は木を置いているが。
 これを何というかというと「沓脱ぎ石」という。この沓脱ぎ石というのは、漢字で書くとこういう字を書く。沓脱ぎ石、この沓と言うのはけがれという意味。沓脱ぎ石。
 つまりここの沓脱ぎ石で一旦、けがれを外して中に入る。日本の家屋というのは、例えば畳のへりなんかも、あそこもなぜへりがついているか、いろいろな諸説あるが、結界、結ぶ世界。だから、ここからその畳の向こう側の人は貴人というか、偉い人が座って、そこからは畳がその結界を示していたり、例えば京都の建物の前にこんな竹が組んでいたりする。そういうのを結界、要するに俗の世界と、こういう俗の世界と人が暮らす世界は違うというところもある。
 このように、実は配慮行動というのは進化していく。最初は、これは小さい配慮行動だけであった。それが配慮行動を伴うサービスとして商品化される。この商品化されたものは実は標準化されていく。その標準化されたものにさらに配慮行動が付加されて新しい標準化、気配りの伴う、配慮行動を伴うサービスが生まれてという、この繰り返しが実は日本のもてなしというものを形づくっていると考えられる。
 このサービスをハイコンテクストサービスという。コンテクストサービス、つまり一つだけでサービスするのが独立しているのではなくて、そのモジュールだけでなくて、そのモジュールがいろいろなものと複合的に連携しながらサービスが生産されていると考える。
 もっというと、この標準化されたサービスだけをつくったサービス、ここから分岐していくサービス。だから、旅館のように、例えばただお水を出すにしても、ぬるま湯のほうがいいいんじゃないかなとか、お薬と一緒に、何かそのからを捨てるのを持っていってあげましょうとかいろいろ考えなくても、もうそこまでしなくてもいいと。おしぼりも紙おしぼりで十分といって、ここで分かれて、ここだけで提供されるサービスもある。それを規格型サービスとい言う。
 その標準化されたサービスだけで生成されるサービスを規格型サービス。例えばマクドナルドなんかのファーストフードだったりで、規格型サービスは、要するにアメリカ的な、合理的なサービス。規格型サービスは、どのように進化しているかというと、要するにパフォーマティブ労働、パフォーマンスをやってきている。例えばクリスマスのときに「おめでとう」と言ってあげたりとか、それは、やることは規格型サービスで決まっているが、それをさらにパフォーマンスとしてお客様に満足度を与える。
 主人と二人であるハンバーグ屋さんに行った。ハンバーグステーキレストラン、ファミレスである。本当にマニュアルどおりのサービスなのだが、そこで私と彼がちょっと苦笑してしまったのは、そのパフォーマティブで。そこに熱々のハンバーグを持ってきて、スタッフが来て、黒コショウをそこで挽いてくれる。「私が今から挽きますのでいいところでストップと声をかけてください」と言われて、それで私も主人もそうなんだと思って見ていた。そうしたら、そのときに店員の彼は何をしたかというと、いきなり歌い出した。
 皆さんご存じのとおり、「ペッパー警部」。それで、エッと思いながら、私たちもう顔から火が出るぐらい恥ずかしくて、もうやめてと。二度ともうその店に行きたくないと思った。
 さて、日本文化との配慮行動、そういうふうに考えていくと、実は日本人特有の配慮行動というのは幾つかある。由布院、玉の湯。ここの標準化されたサービス、汚れた器をお客さんの目の触れないところに置く。最初はおいしいものを召し上がっているのに、いつまでもここに汚いのがたくさん並んでいるのはあまりよろしくない。なので、見えないところに置きますという、誰かが配慮行動をした。そうするとほかのスタッフも、「それはいい」と言いながら、そのお客さんの見えないところに置くようにしようと。だから、これはもう玉の湯だけではなくて、普通の料亭だろうと普通の旅館だろうと、もう汚れた器は目に見えないところに置くというのは、相手の気持ちを推察した配慮行動である。
 さらに、一つ一つ、お米を釜で炊いて持っていくのだが、お客様に出すときに、2つおしゃもじを持っていった。つまりおかわり用に、自分が使ったものを置いてくるとご飯粒がついている。だからお客様が使うときにご飯粒がついているのはいかがなものかなといって、2つ持っていって、二人、三人がそれを真似するようになった。今はもう標準化になっているが、当時お姉さんたちは、「そんなことをやったら私が持ってくおしゃもじがないじゃないの」とおしゃもじが足りない事件とかがあって、なかなかちょっと現場は大変だった。おしゃもじを買うのも大変。いいのだと、一本、7,000~8,000円する。
 この箸帯。箸帯も実は切ってはいけない。箸帯を切るというのは縁を切るということなので、お客さんの前で、「ではお取り分けしますね」なんてパンとやると、エッと思われるので、箸帯は抜くもの。もし皆様もそういうお席で箸帯を見ることがあったら抜いて。切るとだめ。
 割り箸の使い方もそう。割り箸を割るときはどうするか。割り箸をどうやって割るか。パキンと、カーン?
 お箸を割るときは縦に割ってはいけないというのがある。横にして割る。つまり天を割ることになるので、要するに天を割らないように横にして割る。
 さっき茶托の話があったが、茶托の木目という、あれを正目、正しい目。正目というが、茶托があって、この木目、横にある。この正目のある物も必ず横にしないとだめ。要するに木というのは、木は縦に割れるので、この茶托の正目の、木目のあるほうを縦に置くと、切腹を意味するので、あまりよろしくない。これから皆さんがお茶を出したりとか、お客様にお茶を出すときには、小さなことだが、正目は絶対横に。そういうのを、知っている人はエッと思う。知らない人はフーンと思うけど、知っている人は、ハア?と思いますので、ぜひ正目は横に。
 私たちの和の世界では、縦長のもの、横長のものは横長に持つ。要するに縦に置かない。何でもかんでも、横に持って歩く。だから、メニューを一つ持って歩くにしても、縦に持って歩くと、要するに差しているように見える。なので、横に持って歩くという、幾つかそんな決まりごともある。
 そういうことは、行為の中に埋め込まれていくので、どうやって覚えていくのかというと、何も考えずに徹底的にトレーニングする、新入社員は。ロールプレイングをして、とにかく最初はお湯のみを、お茶を出すときもちゃんと茶托を乗せて、お湯のみ乗せて、ではここからこう出しなさいと、とにかくもう徹底的に体に覚えさせていく。そうすると、何かほかのことをやるときも、これちょっとおかしいじゃないかと自分で気づくようになる。
 日本のもてなしとは何だろう。つまり今日のまとめ。察する心、推察力、相手がしてほしいことを考える想像力。もうまさに一番最初に高野さんがおっしゃっていた、想像力。だから、そこに行くまでの推察で、私たちの仕事でよく言うのは、『客に聞くな。客を見よ。』と。お客様に聞いても、お客様は、ああすばらしいねと言うだけ。
 おもしろい調査があって、新聞広告の全面の車の広告、例えば「レクサス」がある。さて、そのレクサスの広告を一番見ている人は誰?

 (女性)買いたい人。
 (女性)興味のある人。
 (男性)同じような車に乗っている人。
 (女性) レクサスの会社に勤めている人。

 買いたい人、なるほど。
 ある調査によると、レクサスに限らず、車の全面広告とか、新商品の広告で高額な商品のそれを見る人は、実は直前に買った人。車で言えば、直前にその車を買った人。買う前に何度も見たはずなのに、でも、私が買ったのとここが違う、やっぱりこう、やっぱりいいと見る。つまり、それを自己肯定、そこで確認をする。
 なぜ、お客様に聞くな、客を見よというのは、アンケートというのがある。お盆のときに一番アンケートが集まるので、現場の人たちは、お盆のときのアンケートを一生懸命見る。だけど、実際にそのアンケートって、ほとんどいいことしか書いていない。なぜかというと、忙しい。例えばご主人様が選んでくれたときに、忙しい中選んだんだから、俺が選んだ、この宿に間違いはないだろうと。料金、料理はどうでしたかといって、ああ、まあいいよねと、俺が選んだんだからと。ではお部屋はどうでしたか、もう俺が選んだんだから間違いないよねと。
 そういうバイアスもかかるし、実は変なことを書いて何か言われるのも嫌だしと思う。最初の援助行動じゃないが。
 お客様に「いかがでしたか」と言って、「よかったです」というのは、自分が納得したいだけ。何が必要かというと、お客様が本当に満足しているかどうかというのは、例えばお料理の箸の進み具合だったりとか、お客様の態度であったりとか、言葉遣いであったりとか、そういうところから読み取る力が大事。だから、それによって、実はそのサービスがどうなのかというのが分かる。
 それで、私たち信州おもてなし未来塾が考える「信州のおもてなしコンセプト」とは何か。
 おもてなしを構成する3つの要素がある。私どもが高野さんと一緒にこのプロジェクトを立ち上げたとき、私たちが求めるものは何かと考えたときの、3つの要素。
 「ふるまい」と「よそおい」と「しつらい」。まずはそのふるまい、笑顔であったり、敬語であったり、所作であったり、マナーであったり。
 私たちが客に聞くな、客を見よというように、お客様も私たちを見ている。いくら「いらっしゃいませ」と言っていても、もう何もお客様を見ないで「はい、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」と言っていても、それは一緒。機械と一緒。そこに心がこもっているのかとか、言葉のかけ方はどうなのかとか、タイミングは、今、言っていいのかということが大事。
 それとよそおい、身だしなみ。
 身だしなみ、大事。それとしつらい。床の間の花だったり、軸だったり、建具とか、よしずだったり、つまりただ単におもてなしというのは、その人が笑顔だけじゃだめで、その笑顔だけじゃなくて、そのたたずまいもそうだろうし、ふるまいもそうだろうし、身だしなみ、そういうものが一つになって実はおもてなしというのは構成されている。
 私どもそのおもてなし大賞というのを選定し、もてなしをさらに、おもてなしの信州を強く外にアピールしていきたいと思っているが、ただ単に、「みんなが笑顔です」だけでは、ほかのところと一緒。そうではなくて、私たちが目指しているのは、ふるまい、よそおい、しつらいというものをまとめて力をつけていくことと考えている。
 そのためにはどうすればいいのか。私たちがすべきことは、まずは気配りを見える化する。つまり、真似されてもいい、いいサービスは、どんどん真似されるように。でも、いいサービスって本当は見えない。見えないと真似しない。真似しづらい。模倣化されない。ということは、サービスをまず可視化することが大事。
 これも私たちの玉の湯のサービスだが、とにかくわかりやすい表示というのは記憶に残る。これはおしょうゆ差しだが、おしょうゆ差しはわざわざ手の上に置いて、お客様のほうに口が向かないように回して、置く。
 もう少し分かりやすく言うと、私たちの仕事で20センチのサービスというのがある。20センチのサービスとは何か。バーテンダーに、皆さんがカウンターの前に行くと、本来であれば、生産と同時に正しく消費するには、お客様がそこにいらっしゃるのだから、バーテンダーはお客様が取りやすいように、お客様の目の前に一発で置けば、お客様はそのまま「はい、ありがとう」とカクテルを飲むことができる。
 ところが、バーテンダーはわざと意図的にお客様より20センチ離れたところに置く。そしてその後「ごゆっくりどうぞ」と近づける。つまり、この20センチで可視化している。「あなたのために作りました」「あなたのためにこのドリンクをお届けいたします」、つまりそこで20センチのサービスが見えることによって、このバーテンダーが作ってくれた、私のために作ってくれたというのは、ここからスタートではなくて20センチ手前に置く、そこからサービスがスタートしている。そうなると、見える。分かりやすい。記憶に残る。
 提供する側がお客様に合わせて、お客様のレベルであったりとか、お客様の社会的背景だったりとか、そういうものに合わせて記憶に残るように可視化することが必要。
 だから、いくらいいサービスで、玉の湯はすごいよと言っていても、お客様のレベルが変わってくれば分からない。分からないと評価されない。つまり、サービスというのは可視化していくことも必要じゃないかと思う。となると、私たちがまずおもてなし未来塾でやっていくべきことは、一人一人の気配りを可視化していく、そして誰もができる標準化されたサービスとして底上げを図っていくこと。
 長野に来るとすごいよね、信州はすごいよねというのは、まずは最低限、お客様が来たら「いらっしゃいませ」、お客様が来たら「こんにちは」、お客様が来たらお茶を出すとか、そういう可視化されたサービスを今後作っていく必要があるのではないかと考えている。
 見えない気配りも大事だが、ここから私たちが目指すのは、サービスを提供する側として見せるサービス、商品化して、きちんとすることが必要ではないかと考える。

以降、グループワークを実施し、終了