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講義名
第4回信州おもてなし未来塾(第2期)
講議日時
平成27年9月9日(水) 13:00~16:00
場所
伊那食品工業株式会社 かんてんぱぱ西ホール

講演内容

いい社会をつくりましょう ~職場が変われば地域が変わる~

第4回「信州おもてなし未来塾」の写真

講義
高野 登塾長
講師
伊那食品工業株式会社 代表取締役会長 塚越 寛氏
講演内容
いい社会をつくりましょう ~職場が変われば地域が変わる~

1 講義

高野塾長

 どうしても我々が忘れてはいけない感性、これを伊那食品工業の皆さんから学ぶべきではないかと思っている。このような素晴らしい場をお借りして、おもてなし未来塾ができることの意味をきちんと考えたい。
 たまたま場所を借りて使うということではない。ここに来てこの空間の中で我々が何を感じ、何を学んで帰るか。ただ単に社員さんたちがニコニコしているとか、「買い物したら気持ちがいいね」で帰るのではもちろんない。何を感じなければいけないか。その感受センサーというのを自分の中で磨くために来る。
 つまりこのステージは何か。伊那食品工業というステージはわれわれの感性を磨くステージだ。そういうステージ作りをここの会社はきちんとやっていらっしゃる。そしてわざわざ外に対してそれを言わない。「わたしたちは来ていただいた人達の感性を磨いてあげます」なんてことは一言も言わない。しかし我々の感性が磨かれている。
 男性のトイレに入ると、そこに文言がある。「トイレは汚いところではありません、ピカピカに磨いてあります。ズボンがくっつくまで前に出ませんか」と書いてある。つまりその一言が我々の感性を磨く。つまり、お手洗いはピカピカに磨くべきものであり、汚いものではない。そういうところから自分たちの第一歩がスタートするという感性が磨かれている。帰るときに水滴を拭いて帰ったらどうか。ほとんどの人が拭いて帰るようになる。私もここで手洗いを使わせていただいて拭かないで出たことは一度もない。
 なぜこのトイレは綺麗に保たれているかというと、社員の方が常に気を配っていることだけではない。そこに来られたお客さんの感性が高まってくる。つまりそういうアンテナが働き始める。しかし、そういうことを例えば自分の家や自分の親戚の家に行ったとき、あるいは近くのレストランのトイレを借りた時にきれいにしているかというと、している人は少ない。でもこの空間の中にいるとなぜかそういうセンサーが働いてしまう。なぜならばここはそういう感性を磨くためのステージ作りをしているからだ。
 そういうことを一つ一つの場面で感じながら、ここで過ごす時間1秒から10秒から1分から1時間から一つ一つの中で感じていくとまったく違った感性が自分の中に働き始める。それがこういうところに来る意味だ。もちろん個人、家族でゆっくりとリラックスするために来る。それはそれでそうした時間を別に取れたらいい。でも今回はリラックスするために来ているのではない。皆さんの中にある、あらゆる感性を全部ピカピカに、高く高くアンテナを上げながら、いろんなものを感じるために来ている。つまり言葉を変えて言うと、感性対感性の真剣勝負に来ているということ。
 この後の会長の話も「いい話を聞いた」ではない。そういう話をするに至った会長のこれまでの考え方、生き方、それをどうやってこの社員の人たちが受け止めて、自分たちのものにしてきたか。そういうことを考えながら、ここで働いている人たちと一言二言言葉を交わしてみるとすぐ分かる。でも分からない人もいるかもしれない。ここにいる皆さんは分かると思う。ただ単にここに来て、「伊那食品工業って有名だから来てみたけど、やっぱりきれいだ。食べ物も美味しい。」で帰ってしまう人も世の中にはいる。我々はそのために来ているのではない。感性の真剣勝負のために来ている。だから、1分1秒が勝負どころ。
 こういう言葉があるのをご存知だろうか。諸国客衆繁盛。ではこれはどうだろう。商売繁盛。これは聞いたことがあるはずだ。おそらく誰でも知っている。この上の諸国客衆繁盛というのは神社に奉納された石灯籠に書かれていた言葉。商家の方が神社にお札を納めるようなものを作り、お金のある人は石灯籠を納めていた。そこに書かれていた言葉が諸国客衆繁盛という言葉。簡単に訳すと、日本中にいる大切なお客様がお栄へ遊ばしますようにという言葉。つまり、自分たちのお客様の繁盛を祈った言葉が諸国客衆繁盛。昭和の半ばに寄贈されてくる石灯籠にはなんと書いてあったかというと、商売繁盛と書いてあった。これは自分が儲かりますようにという願い。自分のお店が繁盛しますように。家にお客さんがたくさん来ますように。そういう願いに変わった。この二つは全く発想が違う。でも日本人は長い間商売繁盛という言葉では商売をやっていなかった。この諸国客衆繁盛という言葉で、商売をやっていた。来ていただいたお客様が繁盛しますように。この地域が繁盛しますように。家のお客様がさらにより良くなりますように。お取引様が繁盛しますように。それがこの上の言葉である。今ではほとんど見ることがなくなった。
 この伊那食品工業に私は何回もお邪魔させてもらっている。丁度一カ月前あたり、塚越会長の木曽の別荘にて一晩、本当に滅多に聞くことができない話をいっぱいしていただいた。いつも感じるのは何かというと、言葉だけではなく行動、そしてそこで働いている人たちの言葉使いにこの諸国客衆繁盛を感じるのである。商売繁盛ではない。だからいい会社を作りましょうというこの言葉の意味は何かというと、お客様にとっていい会社でなくてはいけないし、もちろん従業員から見てもいい会社でなくてはいけない。常に自分たちが真ん中にあるのではない。
 そこでもう一つ思いつくことがある。ここの会社の存在感。ここの組織の存在感。北海道に行ってもこの会社の名前を耳にすることがある。九州に行っても。私の知り合いでもある茨城県の鬼澤さんという方が、グループを連れて昨日からこちらに研修に来られている。この方日本中で研修している。JC(青年会議所)の世界で彼を知らない人はいない。そのくらい有名人なので、日本中でいろいろな研修をやっている。この方が例外なく伊那食品工業のお話をされている。だから彼がそういう人たちをまとめてここに研修にわざわざ来ている。
 ここで働いている人たちの存在感が凄い。でももっと凄いのは何かというと、働いている人たちが無駄な主張をしていないことだ。つまり上手に働いている人たちはそのなかで上手に自分たちの気配を消している。これが凄い。「自分が、自分が」と前に出ないのにも関わらず、ものすごい存在感を保っている。実は、これこそ私が勝手に考えていることなのだが、長野県の県民性をさらに磨きあげるときの一つのヒントになるのではと思っている。
 例えば、大阪の人がここにいて、信州の人とプレゼン勝負をやると言ったときに、絶対勝てない。「(関西人の元気の良さで)お待たせしましたー」と言って出てくるのと、長野県の人のように「こんにちわ」とでは・・・。主張することにおいては、長野県民はすべての都道府県の中でも下から数えてもいいくらい下手だと思う。もっと言うと苦手なのだと。ある意味罪悪感を感じるような人もいる。そんなに「俺が俺が」と主張することはいいことではないと思っている人の方が多いと思う。
 そこで主張の仕方、自分のプレゼンの仕方を考えた時に、実は長野県の人は気配を全面に表に出しながらやることよりも、自分たちの気配を上手に消しながら存在感を出していく。長野の素晴らしさはこれ。長野でできることはこれだ。そういう存在感を出していく。
 今、高校生や大学生が一緒になって長野県のいろいろな地域で特徴のあるものを官民一体となって作り上げていく、プロデュースしているという企画がある。私がお世話になった長野商業の校長をやっていた方で、彼は現在、松本大学で教授として教鞭をとっている。この方が主導権を握って長野のマーケティングを考えてみたのだが、この中でもやっぱり見えてくるのは何かと言うと、主張しすぎないが存在感を持たせる、そういう商品、ものづくり、ことづくり。多分これは長野県に敵うところはないんじゃないかと。実はとても難しい。
 リッツカールトンというホテルで我々が仕事をしていた時に、ホテルマンとして我々が目指すべき姿がそれだった。主張はしない、でも堂々とした存在感がある。いちいち「さあどうですか、これはどうですか、これもありますよ、これはいかがですかと」などとは言わないが、そういうものが必要だと思った瞬間にその思いを汲みとる力。あるいはワインが終わりそうになっているなということを考えながら話をしていて、ふっと見たらワインがちゃんと適量注がれている。「あれ?いつの間に来てくれたんだろう」、まったく気配を感じないのだが、サービスをする存在感がものすごく感じられる。そういう仕事の仕方というのが、実はリッツカールトンのホテルマンが目指す姿だった。
 これは長野県の県民性にそのまま通じると思っている。大阪とかあるいは東京とか、大都会のプレゼンはおもしろい。でも、なんとなく「ほんわか」としながら、しっかりとした存在感を保って自分たちを伝えていく。そのヒントがいつもこのかんてんぱぱガーデンの中を歩いていると感じられる。ふとした瞬間に。
 ここの従業員の皆様が車を停めている場所がある。すごい。全部前から入っている。なぜならば向こうに草木があるから。そこに排気ガスがかからないように必ず前を向けて停めている。しかも従業員の人たちの車がビシッと揃っている。壮観だ。脇から見ると、停めた車の後ろが一直線に全部揃っている。信じられないほどの光景だ。普通そういうことを考えない。これはびっくりする。しかも、誰も見ない、お客様がほとんど来ることもない工場の裏手の駐車場に停めてある車までそうなっている。いつ行ってもこれはびっくりする。私は来たときに必ず裏方まで見せてもらう。何がすごいか。裏方を見たら、すぐに分かる。表が綺麗なのは当たり前。でも裏方を見たときにほとんどそこの組織の正体が分かる。
 よくホテルに行って何を見たらいいのかと言われる。リッツカールトンに行って何を見たらいいのか。例えば「今度リッツカールトンにお茶しに行きます。何を見たらいいですか。」実はほとんど見られない。一回リッツカールトンに行ってお茶を飲んで、リッツカールトンのサービスが分かった。そんな馬鹿なことはない。そんな事が起きるわけない。
 だから一泊することの意味はそこにある。ホテルの研修ではリッツカールトンで一泊しながら何を見るか。夜中の2時の顔を見る。隠せないからである。なぜならば、ほとんどが契約をした業者さんがそこで働いているから。その人たちが本当にリッツカールトンの精神に則って仕事をしてくれているかどうか。午前2時の顔はごまかせない。例えて言えば、女性の顔。午前2時。化粧を落として隠せない素顔、あまり外に見せない。でも、そういう素顔の時に皮膚がちゃんと手入れされている人と、化粧しないと見られなくなってしまう人の違いというのがある。普段から健康状態や食事をちゃんと考えながら、生活を送っている人は午前2時の顔も怖くない。
 ホテルも実はそう。午前2時の顔から明け方の4時くらいまで。この間にホテルの本質が全部出ている。隠せないところも全部出ている。そういうところでお掃除をしている人が本当に丁寧に掃除しているかどうか。エレベーターの脇にある、取っ手の下の金属のところをきちんと拭き、その裏をきちんと磨きあげているかどうか。30分ホテルの中を歩いたら全部見えてしまう。本当にシャンデリアの上、きちんと一つ一つ毎日拭いているかどうか。3日に1回でごまかしてないかどうか。泊まってみるとすぐに分かる。そういうところを見ると、ごまかしようがない。
 たまに「ホテルのバスタブに入ったら髪の毛一本落ちていたんですよ。このホテルって失格でしょうかね。」などと言われることがある。100%常にそういう状態を保たなければならないのがホテルだ。髪の毛が落ちているというのは、これは論外のこと。でももしかすると、そういうことが絶対に起きないか?そんなことはない。
 人間の髪の毛は一日何十本、何百本も落ちているから。たまたまそういうのを阻止している人が帽子をかぶりながらやっていたとしても、全部最後にチェックした者の髪の毛がたまたまドアを閉めた風に飛んでいかないとも限らない。そこまで責めるつもりは我々にはない。ホテルのリーダーといえども、そこまでは責めない。これは仕方がない。当然ながら、お客様にはきちんと謝罪する。「申し訳ありません。」と。
 でもそういうことよりも午前2時から4時の間の働く姿の方が我々は大事にしている。キャリアはないが、明らかにその時間帯にこういう人たちがお掃除をしてくれていたんだというその存在感を感じる瞬間だから。その人たちの気配を我々は感じることはない。でもその人たちがここまできれいにしていてくれていたんだという、この存在感は凄い。だから気配を消して存在感を主張することができる。
 例えば一つ一つ丁寧に考えていくと、このおもてなし未来塾の中で我々が身につけるべき感性とは何かと。私は2つあると思っている。
 一つはきちんと気配を保つということ。皆さんはリーダーだから。これはこれで必要。この気配と存在感との両方を同時に消していく必要はない。しかも長い間これを伝えなければいけないということもある。堂々と気配も表に出していって欲しい。
 主張しすぎるという意味でもない。やった、やったということでもない。自分がさらりとやっている、でも「この人いたんだよね確かにね」と、「今朝も見たよ。あの人が掃除したんだってね。あの人駅前でこんなことやっていたよ。」この気配も、それからその存在感も両方必要。
 例えば今日は一期生の方々が来られている。今は二期生の方が中心だが、3年、4年と可能な限り、私はこの毎回毎回増えていく人たちの間のコミュニケーションは切らずに行きたい。一期生、二期生、三期生、四期生、五期生、六期生、この人たちの間のコミュニケーションはものすごく大事なものだと私は思っている。
 だから可能な限り、存在感も残していきたいなと。5年位たったときに、かんてんぱぱガーデンでやりますと言ったら、ここに入りきらないくらい立っているかもしれないが。でもそれは一つの大事な繋がりだと私は思っている。もちろんそれぞれの期の中で、一つの大事な繋がりが出来ていくということも大事。プラス、期を超えた繋がりというものも、どちらもわたしは大事なんじゃないかと思っている。
 そういう風に段々作っていかなければならないが、まだ二期生、三期生くらいまではまだ、隣合いの段階にある。特に一期生の場合にはどういう風にしようか考えながらやってきているので、多分皆さんの中では「あーもうちょっとこういうところができたらよかったなぁ。なんで一期のときにここに来れなかったんだろうなー。」といろんな思いを持っている方もいると思う。
 でもそういう風に一期のときにはできなかったことを、二期の中で工夫しながらやる。二期の中でなかなかうまくできなかったことを三期の中でやる。そしてまた違ったアイディアをどんどん入れていきながら、だんだんこの塾を成長させていきたいなと。
 成長させていくのは私ではない。皆さん自身だということだ。皆さんは主体的にいい意味で気配も感じさせながら、存在感をもって、この塾を成長させていく時の核になる人。そういうことも頭の隅に置きながら、ここの中で働いている人たちとどんな会話をするか。これは大事なことだ。
 どういう会話をするか。お店に行ってそこで働いている人三人くらいいて一人が忙しそうなとき、誰かちょっと手が空いてると思った時、その人にどういった声をかけるか。どういった声をかけるかということは何を聞きたいのかによって決まる。自分はそこで何を感じ取りたいのかによって、かける言葉が決まってくる。
 例えば30分あったとしたら、この30分の間に自分はここで何を感じたいんだろうと自分の中に疑問がわいた瞬間に自分の中に質問力という力が刺激される。何を知りたいかによって質問が決まってくる。何を聞いたらいいか分からない人は、何をそこで感じとりたいかが分かっていない。
 せっかくの機会なので、何も声をかけずに帰ってしまうことはあまりにももったいない。そしてさっきから後ろの方にいていろいろな面倒を見ていただいている社員の方に、ちょっと時間があったら聞いてみる。5分10分話す、これは逆に失礼。45秒ルールで。45秒で質問する。質問してそれに対してポンと答えてもらう。45秒でコミュニケーションが取れ、なおかつ自分の中の疑問が一つ解決する。
 自分は何を知りたいのか、何をもって帰りたいのか。そして、自分が何を置いていかれるか。持って帰るだけではない。この精神だから。自分たちがここにお邪魔させてもらい、この空間で楽しませてもらい、この空間で学ばさせてもらっている。帰るときにはこのかんてんぱぱガーデン、伊那食品工業様がさらに繁盛されますようにという思いを置いていかないといけない。これは礼儀。もらっただけで帰ってはいけない。必ず置いていくものを自分の中で何か一つ。『ありがとうございました。本当に学ばさせていただきました。さらにこの会社とここに働いてらっしゃる皆さんが繁盛されますように』という思いをきちんと丁寧に置いていく。これを自分の中で習慣化するだけで全く違ったものになる。
 自分が普段、近くのレストランに行っているときもそうだ。「ごちそうさま」と言うだけではない。このお店で美味しい食事ができた、このお店があるお陰だ、ここで働いてくれる人がいるからだ、このお店がもっともっと繁盛しますようにという思いを置いていく。そういう思いを100人の人が置いていったらその店は繁盛する。世の中とはそういうものだ。そういう思いの人はそこのお店が繁盛すればまたそこに行こうと思う。やっぱりここのお店は気持ちがいいと。ここで買うと気持ちがいいと。ここの人たちと言葉を交わすと気持ちがよいと。だからこのお店がもっと繁盛するようにという思いをポンと置いて帰る。
 一つ一つの物事ってそういう風に繋がっていくんじゃないかと思う。それを設計することができる立場にいらっしゃるのがここにいる塾生の皆さんだ。最初からすぐにそれがポンポンポンと浮かんでくるか。浮かんでくる人もいると思うが、やっぱり時間をかけてやっていかなければいけないという人もいると思う。急ぐ必要はない。急ぐ必要はないが、この一年間の中で少なくとも一年前よりは自分の中で物事を見たときのものをとらえる視点が増えていると。かんてんぱぱガーデンにいたあの時間の中で自分の中で物事をとらえる視点が二つ三つ増えたというようになっていただきたいと私は思っている。
 もしそれがなかったとしたならば原因は二つある。一つは私。伝える力が弱い。でも頑張って伝えている。でも伝わらない場合も実はある。
 自分で恥をさらすようだが、一カ月くらい前に京都で、ある若手の研修会があった。80人くらい。そこで、お客様の立場に立って、相手の立場に立って相手の気持ちを汲んで、相手の様子を見ながら自分の行動を決める、コミュニケーションを決めるという話を二時間した。
 二時間で終わり、懇親会があった。懇親会会場まで歩いて12分から13分かかる。ちょっと霧雨が降っていた。私はリュックとそのときお土産をもらっていたので、大きな紙袋も持って外に出た。タクシーで行くのかと思っていた。内心期待していた。
 そうしたら若者たちが、『高野さん歩いてすぐですよ、急いで行きましょうとね』。歩きだした。紙袋を持って、傘がないまま霧雨の中を歩き始めた。
 たまたまそれは京都のリッツカールトンホテルで行われた会議だった。ホテルのスタッフがびっくりして飛び出してきて、「高野さん、僕これもっていきましょうか。」と言うので、「いや、忙しいのは分かってるからいいよ。10分位だから大丈夫だよ。」と言ったら、彼が「うちの車出しましょうか」とすごい心配してくれる。しかし青年たちは誰一人気がつかない。
 私はかなりショックだった。なぜなら、自分の講演内容が何も伝わっていなかったということだから。伝える力は難しい。私にはまだまだ伝える力が足りない。落ち込んだのは歩いたからではなく、講演内容がまったく伝わっていなかったこと。その日のビールは珍しく美味しくなかった。その日は結構自分で考え込んでしまった。どういう風に言えば伝わったのかと。何が悪かったのかと。ずっと考えていた。
 でもその後ある事実が分かった。そこにいた6人はその会の世話役で、受付とか次の懇親会場の準備で、私の話をほとんど聞いていなかった。それが後で判明した。彼らは私の話を聞いていなかったのである。だから相手の立場に立つということが出来なかったのである。正直、内心ほっとした。それでも美味しくないビールを飲んでしまったことは確かだ。
 理解と気づき。これは何回話しても、何回伝えても、伝えすぎるということはない。気づく。気づく感性、気づき。みんな頭では分かっている。お客様のために、お客様の立場に立って、お客様の気持ちに寄り添って何かをしなければいけない。みんな頭では理解できている。頭では理解できているのだが気づきがない。気づきの瞬間というのは、自分の中で気づきのアンテナを上げない限り、気づいてくることはない。
 例えば東京で生活をしていると、当たり前のように、パスモであったり、スイカであったり、これを改札の時に右手で何げなくすっと通していく。でも世の中の15%の人は左側にあったらいいと思っている。つまり左利きの人たちだ。でもその人の気持ちを考えないと、自分が当たり前だと思っていることが当たり前になってしまう。でも頭のどこかで皆感じている。他の人の気持ちになって考えなくてはいけないと。人の立場にたって考えなくてはいけないと。でもどういうことをしたらいいのか、何に視点を持っていっていいのかが見えなかったりする。これが大変。だから感性を磨き続けるしかない。自分の中の感性を磨き続ける。
 気づきの感性を磨き続けるというのはどういうことか。体験することだ。体験を通してでしか気づきというのは自分の中に腹落ちしてこない。頭で分かる、理解するだけではなくそれを体験することによって腹落ちさせる。すとんと分かってくる。だから、体験が大事なのだ。無駄な体験はないとよく言われるが、私もその通りだと思う。無駄な体験はない。
 リッツ・カールトンホテルで働いているときによく、2000ドルのエンパワーメントの話をしたことがある。リッツ・カールトンでは一人一日2,000ドルまでの決裁権をもって仕事ができる。今なら20万円くらい。全社員が毎日、この決裁権をもって働いている。
 ある経営者の人は「うちの会社だったら、すぐに潰れる」と言う。皆社員が無駄使いをすると思っている。社員を信頼していないから。迷いのない信頼関係が出来ていれば、そういう心配をする必要はない。
 迷いのない信頼関係をどうやって作っていくか、そのヒントがこの伊那食品工業の中に山ほどある。多分それに関連したことも会長のお話の中に出るかもしれない。もしも自分が考えているような答えが出なければ皆さんが質問をするチャンス。
 私も数年前だが、会長のお話を仲間と一緒に聞いた。またPHPの企業研修で、三回くらいシリーズを組んでもらったことがある。一回目はここだった。その時に若手の経営者が会長に向かって、いい質問をした。「ここでやっていることはすべて綺麗ごとですよね。綺麗ごと過ぎますよね。朝、開始一時間前から来て掃除とか、おトイレの話とか、あまりにも皆綺麗ごとすぎる。なんか偽善っぽいですよね」といういい質問をした青年経営者がいた。
 会長、なんとおっしゃったか?「君いい質問するね。偽善でいいんだよ。」と言っていた。「最初は偽善でいいんだ、やっていくうちに自分の中に落ちてくるんだよ、ストンと。最初から全部善人がいるかい?この中に。」と始まり、もう彼は唖然として何も言わなかった。
 偽善でいい、最初は。そうやってひとりひとり自分の中に力を付けていって、気が付いたら偽善だなということを考えないくらいに自然にやっている。そのくらい我々は時間をかけてやっていると話していた。
 リッツ・カールトンもそうだったが、新しいことを始めるときにその会社の中で哲学とか理念とかを語り始めると、なんかそれって偽善っぽいような、なんか変な宗教のような、そういう話で嫌だと言う人もいる。でも半年もしないうちに、みんなそれを自分が語り始めている。なぜなら、ストンと腹落ちすることがいっぱいあるからだ。
 「いい会社をつくりましょう」というこの「いい会社」の条件、先ほど言った通り、社員にとってみても、いい会社でなければいけない。じゃあ、いい会社でなければいけない、その社員は?自分は?どうなのかということ。自分自身はどうなのかということ。いい会社の中で働かせてもらうのではなく、いい会社を自分も一緒になってつくる。いい会社で働いている、いい社員の総和がさらにいい組織を作っていく。会社が「いい会社」ではない。働いている社員がいい社員になってその総和がその会社の評判を決めていく。
 「いい会社」とはなにか。いい社員の総和。だったら一人一人がどういう働き方をするか、社員が決めない限り、いい会社にはならない。言葉だけで終わってしまう。うちはいい会社を目指す。目指しているだけで終わってしまう。いい会社にはならない。一人一人が本気になっていい社員として自分があるべき姿ってなんだろう、これを考えた時に社員の行動が決まっていく。
 その社員の行動の総和が何を作りだしていくか。そこの会社の中の風を生み出していく。これを社風という。
 地域の中で働いている人たち、そこで生きている人たち、その地域の人たちが醸したその風が作り出すものは風土と言う。
 同じ風。その地域に行ったら気持ちのいい風が流れている。清々しい風土が感じられる地域だと感じられるところもあればその逆のケースもある。ぎすぎすしている。なんか殺気立っている。そういう風を生み出してしまっている地域もあるかもしれない。
 そうやって一つ一つ考えていくと、物事ってすごくシンプル。自分はどうあればいいのか。そして自分の仲間たちにどうあってほしいのかということを常に考えている。
 この先、皆さんはリーダーとなっていく。自分と同じような考え方を押し付けるのではなく、自分の生き方を通じて相手に何かを感じてもらうしかない。こうやろう、こうやったらいいではなく、その人の生き方そのものが他の人に影響を与えていくということ。
 これは前にも言ったとおり。自分の存在が他の人にとって感じが良いかどうか。自分がどんな環境を他の人に与えているのか。どんな環境を他の人は自分から感じるのか。この人と一緒に仕事をしたら気持ちがいい、あの人の醸し出す雰囲気っていつもギスギスしている、あの人ってどうしていつも怒りっぽい顔をしているのか。なんかあの人ってつまらなそうな顔して仕事をしている。
 すべてその人が醸し出している環境そのもの。自分が醸し出している環境は、周りのひとにどれだけの影響を与えているのか、これはじっくりと考えてみる価値がある。
 だから環境整備が大事。自分が働いている、その意味は何か、その職場の環境を整えてそこで働いている人も、そこへ訪ねてきた業者さんもあるいはお客さまも、ここの会社、いい会社だと感じてもらうこと。だから自分たちの環境整備をしていく必要がある。
 同時に自分の環境整備も自分が責任を持ってやらない限り、誰もやってくれないということ。会社の社長がやってはくれない。じゃあ自分の先輩がやってくれるか、やってくれない。最後は自分でやるしかない。自分の人生だから。お一人様一回限りの人生だから、自分の人生、自分の仕事人生は堂々と遠慮なく決めればいい。
 もっと言うと、誰も決めてくれないということ。そうやって考えていくと、理解する事も、気づくことも、全部そこに繋がってくることに気が付く。自分が大事にしなければならない感性とはなんだろうと。
 「年輪経営」という塚越会長の書いた本が国の予算で英語化されて、海外に出されている。国が予算を組んで作った5冊のうちの一冊が、会長の本。長野の伊那食品工業の会長の本が国の予算で英語化されて、世界に発信されている。誇らしい事である。でも会長はこういうこと、あまり言わない。だから私が一生懸命言っている。(といっても、facebookで書いている程度だが)
 この間スペインに行った時に、スペインの実業家で非常に力のある方にこの本を一冊あげてきた。メールで感想が届いた。「素晴らしい。ヨーロッパの昔から大事にしてきた感性にそっくりだ」と言っていた。アメリカに対してヨーロピアンスタイルというのはどちらかというと日本の中で機能してきた雇用制度に近いものがある。
 そしてこれは9月2日版。アメリカのウォールストリートジャーナルの第一面に会長が載った。これはすごいこと。かなり長いインタビュー記事。「海藻」の先生と書かれている。それくらい日本国内だけではなく世界に注目される存在になってしまった。これからもっとそうなるだろう。
 一部の人のみご存じかもしれないが、今大きな工場を建てている。でもこれでもまだ足りない。何を始めようとしているのか。コンビニで弁当を購入すると、おかず同士が触れ合わないようにプラスチックのシールが使われている。これを全部寒天で作ったらどうなるか。ゴミが出ない、しかも食べられる。一定期間は形状を保つ。そういった新商品を数年前からR&Dで開発し、今試験的に某コンビニが使い始めている。このコンビニが本気になって全店で使うとなれば、生産がまったく間に合わない。すると他のコンビニも絶対追随することになる。実は既に商品化はされており、一部のレストランやお店などでは使用されている。この寒天フィルムが使われている。
 先日会長とバルセロナの話をしたが、もうすでに会長の発想は海外に飛んでいる。世界を見据えている。
 ゴミ問題も真剣に考えている。石坂産業、中央タクシーの社長さんと会長の木曽にある山荘で一晩語り明かした。そこで石坂産業が取り組んでいるゴミ問題の話も出た。ゴミを出さないということ、ゴミにならないものを開発するという製造の責任。出てきたゴミをどう処理するか、何%まで処理できるか。現在石坂産業は98%までいったそうだ。昨年は95%だった。今は98%までリサイクルを行っている。残りの2%をどうするか。北九州小倉にある安川電機。産業用ロボットを造っている。このロボット工場の中にもしかしたらヒントがあるかもしれない。そうすると、伊那食品工業と、石坂産業と安川電機がどこかでタッグを組んでスタートする可能性がゼロではない。いろいろな可能性がある。
 何がすごいかというと、そういうことをこの伊那地方、ここで発信できるということ。そして発信しているということ。そういう企業が自分たちの足元にある。これが長野のものすごく強い存在感。上手に気配を隠しながら。でもすごい存在感で海外からも注目されている。これはものすごく価値のあること。
 そして、我々が日常的にしなければいけないことは、グローバルな視点で物事を見る、その人達の感性に自分の感性をチューニングアップできる能力を鍛えるということ。単に伊那食品工業はすごい!では終わらせない感性をもつということだ。
 産業というのは、2つの側面から考えることができる。人間の体と一緒。人間の体には動脈と静脈がある。まず心臓から出ていく血液、動脈。この動脈に新しい血液が乗っかり、人間の体の隅々まで血液が回る。血液が使われたら静脈を通じて心臓に戻ってくる。つまり老廃物を運びながら、心臓に戻り、また、新鮮な血液となって体の隅々まで動脈を通じて再び身体の隅々に届く。世の中の産業も全く同じ。モノを創りだす産業、つまり動脈産業がある。かんてん製品を作っているというこの動脈産業。車を作っている会社もそう。いろいろなところでいろいろなモノづくりをしている人達。これを総じて動脈産業と言えることができる。
 それに対して、作り出されたものが壊れる、使われなくなる、古くなる、家ならば建て直し、車なら廃棄処分。廃棄処分されたものはどうなるか。誰かがそれを引き取り、処理しなければならない。これが静脈線。産業廃棄物処理をする会社だ。つまり産廃業者の方たちはその中核にいる。その人達がいなかったら、日本もどこの国も、産廃物で溢れてしまう。だから静脈産業としてきちんと処理する人達が必要。
 でも世の中の仕組みを見ると、作り手はだいたいもてはやされ、褒められる。いい商品を作った、これ、すばらしい。このPC,スマホすごい・・・と言っていた10年前のスマホ、今じゃ誰も使っていない。ではその携帯はどうなるか。廃棄しなければならない。車もそう。いずれ使えなくなる。それを処理する人達は、たいてい非難される。うちのこの地域に産廃など持ってくるなと。私たちの生活を脅かすと。だいたいそういう構図ができ上がってしまっている。
 これにチャレンジしているのが石坂さん。自分たちの仕事、静脈産業がなかったら世の中がまわっていくわけがない。だから自分たちがやっていることはすばらしいことだと全社員の意識改革をした。
 いつか皆さんの希望を取って石坂さんのお話しを聞く機会をぜひ作りたいと思う。事務局は忙しいので、希望者を募って行ったらいいと思う。実際に見てみないと、何が凄いのかがなかなかわからない。そういう意味で一つひとつの物事をみていくと、自分たちの中に持たなければいけない感性というものが見えてくる。今自分は何と向き合っているのか。たとえば製造の現場で、作っているものだけをみて終わってしまうのか、これの最終処理はどうなるのかまでを考える。静脈の部分があってはじめて世の中全てが成り立つということを考えてみることも大事。

2 講演

【いい社会をつくりましょう ~職場が変われば地域が変わる~】

塚越 寛氏

 みなさんこんにちは。塚越と申します。
 今日は皆さん、大変真剣に聞いていて驚く。おもてなしというか、おもてなしというのは表向きのタイトルだろうが、要はお互いの会社が順調に経営出来て、雇用ができて、皆がお互いに幸せになればいいという講座だと思っている。
 このごろ私はよく思う。マスコミが非常に発達している。しかし、そこで感じているのは「哲学的思考が足りないのではないか?」ということにあって、スキルばかり先に走っている。どうやれば儲かるのか、どうやればコストが下がるのか、どういう風にやれば経費が節約できるのか、そういうことばかりが本や新聞に出ていて、もっと根源的、哲学的な大事なことの教育が足りていないのではないかと思う。
 例えば、1番大事なことは、どんな物事にも目的がある。目的を明確にしないと、間違えやすいということがあるが、目的があるにもかかわらず、その目的に一切触れないという業界がある。それが経済社会。経済社会というのは、いや、経済というよりも人間の営みのすべてに、と言ってもいいかもしれない。人間の営みのすべて、長野県が主催するこういう勉強会、あるいはお互いにモノを作る、店をやる、物を運ぶ、トンネルを掘る、道路を造る、学校へ行く、結婚をする、全部人間の営みである。
 このすべての営みの目的は何だ、と考えたことがあるだろうか。商売だから儲けるためだ、あるいは、楽しいからだ、短絡的な目的を言う人がいっぱいいるが、人間の営みというものは幸せになるものである。それ以外の目的は一切ない。幸せになることがすべての目的で、幸せに自分もなり、相手を幸せにし、世の中を良くするというのは、人間のすべての営みの根幹である。
 ところが、そうでなくて、その一歩手前の、利益が目的になると、これはとんでもないことになる。考えてみれば分かる。皆が幸せになることでなく、利益が目的になれば、人件費は削ったほうが良い。儲けがあるから。その結果犠牲者がいっぱい出たり、あるいは倒産をする。当然不幸な人を大勢作る。そうではなく、1人でも不幸な人を作ってはいけない、幸せになるために会社の経営の在り方が問われる。
 だから、会社の経営の在り方というのは、儲けをたくさんにすることでもないし、大きくなることでもないわけである。儲けとか、成長というのは全部手段。何の手段かと言えば、言うまでもなく、会社が永続するための手段だ。手段であるにも関わらず、それを大概の人が目的にしている。それを目的にしたら、利益が上がる方がいいから、人件費を削れ、あれを削れ、仕入れ先を値切れという風になるので、相手に迷惑をかけていることも平気でやっている。ここのところが残念ながら今の日本に欠けているものだと私は思っている。
 会社の目的は、言うまでもなく1人1人が幸せで、良い人生を送れるようにしてあげる、そのための会社の手段。その手段である会社が途中で倒産することは、一番の不幸。絶対に倒産してはいけないというのが実は会社の方針でなければいけない。
 そのために私は「年輪経営」という言葉を言っている。急成長と、利益拡大主義が1番倒産を招きやすいということ。短期的な利益、短期的な成長、つまり急成長。これを望むと、倒産の危険がたくさん増える。それにもかかわらず、いろいろな経済雑誌、新聞が急成長をもてはやし、急成長ランキングとか利益成長ランキングだとか、たくさん出ている。そもそもランキングなんて必要ない。私はそう思う。
 例えば、1番ということはいいことだと思って、かつてある有名な経営者が、1番じゃなきゃダメだと散々バカげたことを言った。富士山を知っていたって2番目の北岳を誰も知らないだろう?皆そうだそうだと思って、1番になることを目指している。1番というのはお山の大将我一人だから、2番目を蹴落とす。勝手がいい。自分だけ幸せになればいい、蹴落とせばいい。
 だから私は、考え方を変えて、一流になろう、一流は何人いたって、何件あったっていいのだから。一流の店になればいい、一流の会社になればいい。
 だから私どもの会社は売り上げ目標もなければ、利益目標もない。1度も言ったことがない。ただ、前の年を下回るというのは我々の努力が足りないということだから、経費がどうあれ、社会情勢がどうあれ、年輪のようにちょっとでもよくなればいいということを言っている。年輪が重なったら木は枯れる。だから成長という定義の問題。
 成長って何だろう?誰も考えない。売上だという。そうではない。成長は売り上げではない。そこで働く人や、世間の人が見ている。「あの会社よくなったね、何か分からないけど、社員の人皆やる気だね」と。これが成長。すると、売り上げが伸びなくても利益が毎年あれば、これも立派な成長。内部留保があるから。
 ところがなぜか株式市場ではその両方を求めている。日本の上場企業は皆売り上げと利益を求めている。結果中小企業はそのしわ寄せで、大手企業もやらなくていいことにどんどん手を出していく。シェアを取ろうとする。なぜかと言ったら伸びなければ怒られるから。なりふり構わずいろいろなことをやるから、そのしわ寄せで中小企業はどんどんくたびれていく。
 中小企業と一概に言うが、中小企業の範疇に入る会社の数は99.9%、日本で400何十万社ある。大企業は数%。働く人の数は、中小企業が83%、大企業は17%。83%の人が中小企業で働いているのに、あらゆる世の中の関心が大企業に集まっている。政治もそう、経済雑誌なんかもそう。良くなるはずがない。
 もう少し我々中小企業のことを大事にして欲しい。意識改革をしなくてはいけない。売り上げは確かに大企業が多いが、その大企業も残念なことに、とにかく成長が1番だということ。日本でマーケットがない場合には海外に出て行く。今日も新聞に出ていた。海外の大きな会社を買収して、数字の上では成長をしている。ところが日本で投資をしない、外国の会社を買って一体何になるのか?日本人にどれだけ貢献するのか?確かに株式市場では貢献しているのかもしれない。日本のために、あなたたち日本人か?と私は怒りたくなる。オリンピックやサッカーなど、あれだけ愛国心を発揮しながら、ビジネスの世界では、とにかく日本人のことなんかどうでもいいみたいな行動が見える。私は腹立たしく思う。
 私どもの会社も実は4工場だが、海外にパートナー工場がある。決して人件費が安いとかそういうことで出たわけではなくて、南米のチリ、モロッコ、インドネシア、韓国に工場がある。
 もう40年以上前に、日本の海が世界で1番汚かった。高度成長期。瀬戸内海の海の色が茶色だった。国産国産と言うが、日本が一番、危険な魚だった時代がある。そんな時にどんどん海藻がなくなるので大変だということで海外に行って、海外で探して今言った4カ国でパートナーを見つけ、指導をしてかんてんを作ってもらったり、製品を作ってもらったりしている。
 だから海外の進出について、そういった理由で進出したのであって、コストが安いなどという理由で出たわけではない。海外ということで、非常に多くの事を学ぶことができた。日本人の島国根性というものがあって、どうしても、海外から見た目の方が正しいというケースがある。私は世界中行かない国がないくらい飛び回った。観光もあるが、北朝鮮、キューバ、いろいろな国に行った。
 今でも思い出すが、スウェーデンへ私は営業に行ったことがある。その会社が田舎にあって、帰りが夜になってしまった。そうしたら、初対面であるにもかかわらず、その会社が、「泊まっていきなさい。私共にはゲストハウスがあるので遠慮なく」と言ってくれたので私は泊まらせてもらった。素晴らしいゲストハウスであった。さらに「朝食に行きましょう」と言われ、朝食を食べに行った。当時秋であったが、落ち葉を踏んで行った。その建物から歩いて150メートルくらいの紅葉の中に素晴らしい建物があって、そこで一緒に朝食をとった。「これは何の建物ですか?」と聞くと、「これは古い建物を移築して保存している」と言う答えであった。その感じがなんとも素晴らしくて本当の豊かさとはこういうことだなと思った。
 その影響がここのガーデンになっている。同じ一生を過ごすのに緑に囲まれて、いい環境で働けばその働く人が一生のうちの半分は良かったと思える。会社は別のもので家庭だけが人生で、会社は働くだけのところだからどうでもいいというような考え方をもし持っているとしたら、とんでもないこと。人生の半分は職場で働くのだから会社はなるべく快適で働きやすい環境を作らなければならない。そのために稼ぐのでしょ?と言えば、社員も一生懸命働く。
 ホスピタリティというのは、会社が順調であるための一つのテクニックである。順調であるためには誰が主人公かと言えば、働く人が主人公なのだから、その人達に一生懸命働いていただく。経営者も単に自分が儲かればいいではなく、どうしたら皆が快適になるか、幸せになるかをしっかり明確に意識していく感覚でないといけない。
 本日は本題と逸れるかもしれないが、理念的なことをしっかり話したいと思う。(壁に飾ってある100年カレンダーを指し)そこに100年カレンダーが飾ってある。これは100年の日時が毎日印刷されている。2センチ四方のマスが一カ月。7~8センチあるマスが一年。100年分が印刷されている。皆さんの命日があのどこかにある。間違いなく。あなたの命日はどの辺だ?この辺かなと皆指差す。命日はそこで終わるが、その後どうするのかと私はよく聞く。その後は何もない。残された日々は幾ばくもないが、その残された日々をどう生きるか。この青空を綺麗だと感じる日も1日1日と減って行く。やり直しは効かない。たった一度の人生。それを意識させることが何よりの教育となっている。
 森信三という教師がいた。『「人間、人生はたった一度だ。」ということを知ることが最大の知識だ』と言った。私もそう思う。たった一度の人生を悔いなく暮らす。無駄にしたら本当にもったいない。このことを学生時代からちゃんと教育していれば、非行や犯罪は無くなるであろうと思う。どうやったら楽しく、有意義な人生を過ごせるかを真剣に考える。テクニックとしてどのようにするか。「年輪経営」。毎年正しい努力をして、少しずつ伸びればいいという考えになれば皆が幸せになる。
 中小企業の寿命は30年とよく言う。実際平均すると30年しかもたない。たった30年。これはどういうことかというと、経営者が勉強不足だということ。つまり世の中がどう変化していくのか、どのように変わっていくのか、人々の価値観がどう変わるのか、交通手段がどう変わるのか、道路がどうなるのか、そういう事柄に関してあまりにも無知だからそうなっていく。
 自動車業界はこれからものすごく変わる。今はリニアリニアと大騒ぎしているが、リニアだってどこまでか分からない。コンコルドという超スピードの速いジェット機は今はない。速いだけではダメだということ。そこには快適さやいろいろが無くてはならない。たまたま私はトヨタの社長と親しいので、何度も今までにお話しをしている。自動車については非常に変化する。水素が普及するかもしれないし、電気自動車かもしれないし、とにかく変わる。自動運転はまもなく来る。そうすると世の中のいろいろなことが変わる。
 そういうことを皆で話し合って、自分の将来がどうなるのかそれを常に考えながら、「先を読む」。それを私は「遠くをはかれ」と言っている。これは二宮尊徳の言葉で「遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」という有名な言葉がある。遠くをはかる者は、自分の代では実らないかもしれないけれども、自分の代でどうだとか、常に目先の欲ではなくて、遠くのことをはかる。遠くをはかるということは、自分の子孫たちに対する思いやりでもある。
 私たちには今、資源として昔の人達が作ったものが残っている。それを多くの場合観光資源としている。ではこの平成の時代に、将来何を残すことを意識できる人がいるかということになる。私は意識している。このガーデンの松の木。今70年くらい。松の木は400年~500年生きる。もしこの松の木が1本1本、400年経ったらどうなっているか。すばらしいものになる。風格が出る。この松の木を皆で育てている。
 そういったことを私はもったいないとは思わない。そういうことをやるために皆で稼いでいる。社員自ら手入れを行う。
 社員自らやるということをお話しすることは大変時間が長くなるが、このガーデンの掃除は社員が全部自ら行っている。10万㎡くらいあるので大変広いが、これは社員が毎朝、掃き清め、雑草を取り、樹木は剪定する。あまり見苦しい草がないはずである。皆さんびっくりされているが、社員が毎朝自発的にやってくれている。毎朝。それだけじゃない、私は全部みたことがないが、土曜日の朝も日曜日の朝も数十人が来てやってくれている。誰も褒めもしない。手当も出さない。
 そうやって会社を思ってくれる社員が大勢いて、おかげさまでうちはできている。これには私も頭が下がる思い。そこまで会社の事を真剣に考えてくれる社員がいる。だったら私も、絶対彼らを不幸にしてはいけないなと。
 自慢話みたいで恐縮だが、福利厚生が自然と良くなる。私どもの57年前のスタートは、銀行管理のこんな貧乏な会社はないというところからのスタートであった。従業員も10数人で、最初の年は売上が一千万円しかなかった。去年の売上実績が176億。毎年、毎年何となく右肩上がりで来た。寒天ブームの時は、一気に売り上げが伸びて利益も増えたがその反動が来て、その後見事に3期減収となった。途中切れてはいるが、単に数字で言う48期連続増収というのは赤字もなく、常に右肩上がりで来たので、末広がりでずっと来たということを感じる。
 待遇も徐々に良くなってきた。今から44年前に会社の従業員が30人くらいであった。売上も僅か。しかし日常の生活の中で何か楽しみがなかったら誰だって生きていく糧がないからということで、「皆で香港に行こう」という話になった。そして香港に行った。団体旅行、ツアーに入って行った。帰ってきて皆喜び、「いやあ、良かった。また明日から頑張る」そう皆が言う。それじゃ、こんなに楽しいなら今度は1年おきにやろうか、という話になった。「出来るかできないか分からないが、皆がそんなに楽しいならお互いに頑張って何とか1年おきにやれるようにしようじゃないか」と言って、ずっと続けて一度も切れることなく、22回目を昨年やった。いろいろなところに行った。おそらく日本でもめずらしいケースであろう。
 この間、「日経ビジネス」の連載で担当し、ページを書いた。日本中が旅行すれば皆が潤う。いろいろな制約はあるけれども、各企業が皆でこうしましょうよ、お互い、社員旅行も。そうすれば外国人が来たから少し潤っているように見える日本ももっと潤ってくるんじゃないか?社内旅行はいいことだ。なぜ社内旅行をやめたのか分からないが、ほとんどの会社が辞めてしまった。
 私の会社は1年おきに外国旅行に行き、その間外国旅行に行かない年には国内旅行をしてきた。10月くらいから、二泊三日の社員旅行。今社員は500人近いので、参加者は400人を超える。家庭の事情で特別な人以外は全社員が喜んで参加する。こんな楽しいことどうして世の中でやらないのかと、いろいろ議論するわけだが、よその会社でやっても、人が集まらないとかつまらないとかいう。つまらないとはどうして?こんなに楽しいことが。「分からない」とうちの社員皆で言う。
 こんな楽しい社員旅行がどうしてよそではつまらないのだろう。ここに実はいろいろと問題がある。楽しくない。そこに北丘工場というのがあって更にもう1kmくらい下がったところに沢渡工場というのがあって、その南の1kmくらいのところに藤沢工場というのがある。ここだけでも3つ事業所がある。離れているから、顔はなんとなくわかるけれども名前が分からないし、あまり話したことがないという社員が結構いる。ところがその慰安旅行で相部屋になった社員が、「相部屋になって良かった」「知らない人と話が出来た」と言って帰ってくる。これも不思議といえば不思議。私はこれはいい話だと思う。良い話。
 つまり、コミュニケーションがとれていて、みんなが同じ考えで同じ方向を向いていて仲がいい、それから、将来に対する自分達の不安がないような経営を期待している。いろんな条件が揃っている。仲がいいというのは、つまり協力してできるということ。協力できるということは、昔から三人寄れば文殊の知恵という言葉があるように、力を合わせれば、計算以上のものが出るということ。
 だから、会社経営というものはある意味では、どうやって皆の力を一つにするか、同じ方向へ向かせていくかのゲームだと思って見ている。バラバラではダメだ。労働組合などとんでもないと私は思っている。なぜ労働組合を作らなければならないのか。皆で幸せになろうといって働いているのに、なぜ労働組合が必要になるのか、私には理解できないし、理解する必要もないと思っている。
 例えば、休み時間に「おなか空くかい?」「いやぁ空きますね」「それじゃ皆で飴玉買ってこよう」といった調子。夏は暑いから、冷房がなかったりで水をがぶがぶ飲む。皆、咽が渇いている。「それじゃ冷たい牛乳でも買ってこよう。」最初はそのようにやってきた。そういう風に真剣に、社員の健康や社員の事を考えてあげると、絶対社員は一体になってくる。それが経営というもので、実はそう難しいことではないと思う。社員の事を真剣に心配してあげる。
 優秀という字。この優という字をよく見て欲しい。人を憂うると書く。これが優しいという漢字。”人の事を心配する”。漢字というのは実によくできていて、非常に哲学的。先人の知恵。代表的なものは他にもたくさんある。
 例えば水が青ければ清い。そういった合わせている漢字がたくさんある。心が亡くなる。これは忙しい。忙しい、忙しいと言って心を枯らしている。これもよくできている。なので、忙しいと言っていばっていてはいけないわけである。この優しいという字は人を憂うると書く。人の事を心配してあげる、思いやりの事を優しいという。態度がなよなよしているのは優しいわけではない。人の事を憂うるのことが優しいわけである。だからお互いに優しくなる。
 人の事を考える、社員の事を考える、皆の事を考える、これが優しさ。しかも、これが「優秀」となる。優秀な人。人の事を憂うる事に秀でた人が優秀な人であって、計算が早い、記憶力が良い、文章がうまい、演説がうまい、事業構想力が優れている、そんな人が決して優秀だとはなっていない。優秀な人は、人を憂うる事、思いやりのある人の事を優秀な人という。私は本当にそう思っている。
 それからものすごく下の人の事を思い合っているのが優秀な経営者である。その優秀な経営者が言うと、社員がおのずとやる気を出す、モチベーションを上げる。それがホスピタリティの原点だと私は思っている。
 だから、それぞれの仕事にはみんなそれぞれの形で使命がある。その使命をちゃんと伝えることも大事だが、先程言ったように、「人生は一度きり」「みんな楽しく過ごそうよ」。そのために会社が存在する、店が存在する、だからみんなでいい店にしていい会社にして、良い人生を送ろうよ。お互いにぐーたらな働き方をするのではなく一生懸命働こうよということを、トップが話し、そして、ちょっとでも楽しくなるようなことを毎日積み重ねていけばみんなでやる気になる。そう難しいことではないんじゃないか。世の中全体がそうなるわけにはいかないが、少なくとも今日ここへお集まりの皆さんはそうなるだろう。勉強する機会があるわけだから
 要は、社員がやる気を出すと、やる気のない人の最低でも3倍になるんじゃないだろうか。やる気のない人の3倍は力を発揮するから3倍の従業員を育てたことになる。これは効率がいいに決まっている。やる気のない人を30人集めて事業をするよりも、やる気のある人10人で足りてしまう。
 どういう時にやる気を出すかと言ったらいろいろあるが、トップが本当に自分たちの幸せの事を考えていてくれるという時。具体的には、事業をやった人はちょっと成功するとすぐ豪邸を立てたり、良い車に乗ったりしがちだが、これはもう経営者として失格。世の中はそんなに甘くない。常に引き締めた気持ちで事業を行っていくと、気が付いたら少々自動車を買おうが、豪邸を作ろうが、どうだっていいような状態になる。私は昔社員によく「社長、もっといい車に乗りましょう。」「社長がもっと良い家に住んでくれないと我々肩身が狭いんです」こう言われた。先憂後楽ということ。先を憂いて後で楽しむということだが、そういう姿勢で私は良いんじゃないかと思っている。
 「年輪経営」について触れるが、「年輪経営」というのは、要は、だんだんよくなるということ。「年輪経営」というのは末広がりを意味する。末広がりはどんなに縁起が良いか、どんなに素晴らしいことか、ということは皆知っている。だから八の字が好きなのだ。数字の8888なんて自動車のナンバーでもあったりする。あの人達は縁起がいいからやっている。お隣の韓国では確か数字が違う。「9」だったか? 国によって皆違う。国によって皆違うが、この日本の8というのは漢字の「八」。末が広がっている。そこから来ている。「末広がりが非常に幸せになる、だんだん良くなる」というのが大事。一気に良くなるということではない。それから、無理をするとその反動が来る。反動が来た時に皆困る。
 天下のトヨタ自動車も反動に近い状態があった。それで現在の社長になった時、そういう状態になったので、彼は会社のあるべき姿をしっかりと考えて、偶然に私の本「年輪経営」に出会った。彼は、しっかり読んでくれて、それがご縁になってトヨタ自動車の幹部3,500人の前で講演をしたこともある。この間は全国のディーラーが集まった会場で講演をした。
 トヨタさんは、副社長が「年輪経営」と言った途端に、命令を待たずしてその傘下の系列会社、子会社が全部その「年輪経営」を読んで理解し、取り組む。デンソーの有馬社長もそう。彼はその時副社長だったから。それからアジアのパシフィックモータースというシンガポールにある販売会社の社長が来て、インドネシアのディーラーたちを連れて、ここに来た。ちょうど折しも私の本、(首相官邸の中にある組織がやったのだが)「リストラなしの年輪経営」を政府の予算で英訳した。それが日本でたった1冊に選ばれた。今年5冊を英訳したが経営書は唯一この「年輪経営」。非常に名誉なこと。それがちょうどできたとき、その本を皆読んできてくれた。英語で。リーディング・マネージメントってタイトルで。
 また、日銀の黒田総裁が私に会いにお見えになった。政府の中枢部であったり、景気などについて何かが起こっているのであろう。たまたまそんな時に私の「年輪経営」が英訳されて出たのではないかと推測している。そうでなければ黒田総裁がお見えになるわけがない。それだけ「年輪経営」というのは注目されていた。つまり日本の社会も会社も過去に伸びたり縮んだりずっとやってきた。景気のいい、高度成長時代の折にいっぱい広げた日本政府。それが景気が悪くなって今困っている。そうではなくて一気に広げるのではなく、もっと節度ある成長をしていればそんなことにはならないはず。
 だから将来たぶん、私はPFIと言っているが、民間がインフラ整備をしていくような時代になると思っている。それがまたビジネスチャンスになる。一度作ったものは必ず寿命が来る。そうすると大変だと思う。会社というのは終わりがないから。会社は終わりがない。いつ終わりますって会社はないでしょ?永遠に続くわけだから、自分の代で結論を出すとか、そういうことは必要ないし、あってはならないと思う。ところが日本の経営者は特に、上場企業経営者は分からない。あるいは気をつけないと、お役所も気を付けないと。
 自分の代で一定の業績を上げたいと言って皆、自己顕示欲があるから。これが曲者。自己顕示欲なんて。自分だけの事だから。にもかかわらず、自分の時代に一定の販売実績にしようとか、成績を上げようとしていることが多い。だから皆会社は間違う。
 それに対して、オーナー経営者はそういう間違いをしない。特に創業者はしない。だんだんよくなればいいという考えだから。たまたまトヨタの社長はオーナーだから、彼の価値観が違う。「僕は生れた時から豊田章男だ。別に背伸びする必要はない」と彼は言った。「だから僕は祖父たちが作ってくれたこの会社をどうやって守るかが僕の仕事だ」と。「守るべきものは急成長もいらないし、これだけ十分大きいのだから、良い形で次の世代にバトンタッチしていくことが僕の仕事だ」そう言っている。
 さらに彼は、「会社は株主のものだという考え方は、あれは、原理資本主義だ」と。原理資本主義初めて聞いた言葉であろう。イスラム原理主義というものがあるが、それと同じようなものと見ている。進化してないイデオロギー。つまり、昔のままのイデオロギー。会社は株主のものと考えている経営者が結構いるが、違うと彼は言う。あれは、昔のままの進化していない資本主義。これからは公益資本主義、公を益する資本主義でなければならないと。
 もう一つトヨタの話をすると、長野県内に大きなお寺を持っている。そのお寺が何のために作られたか?お金があるから菩提寺を作ったわけじゃない。そこで毎年役員たち全員で交通安全祈願をしている。車を作っているから交通事故があると申し訳ないという気持ちがあるのだろう。さらに交通事故で亡くなった方がたくさんいるからその供養をやる。そういったことをやっているということは報道もしないし、誰も何も言わないが、それを見て私は凄いなと、生半可な経営者ではないなと思っている。
 経営をするということはそれだけ責任を持っているということ。「トヨタは凄い。これからウチの車はすべてトヨタにしよう。高いとかそういうのは関係ない。」と私は言った。それで会社の車は全部トヨタに変えた。その会社が好きであってその店が好きである。あの主人が好きである。ということになると値段なんて関係ない。
 ところが我々は悲しいかな値段が資本主義社会の競争だと思っている。値段で競争するというのは一番最低。と私は若い時に教わった。経営者のやってはいけないことは値段で競争すること。バナナのたたき売りという言葉があるが、あれは大道香具師のやること。値段で勝負するのは大道香具師だ。寅さんの世界。そんなことはだれでもできる。そうじゃないだろう、本当の競争というのは、品質であったり、サービスであったり、あるいは会社の持っているイメージであったり、諸々が重なって強くなっている。
 だから、ホスピタリティというのは言いなおすと、会社のイメージ作りである。値段ではなくて、競争できるものを持つということがホスピタリティである。資本主義は値段だと思いすぎて、戦後、流通形態が変わるに及んで値段がムキになってしまっている。これは悲しいことで日本の1人当たりのGDPは世界で30何位。かつて1番か2番だった時もあった。それが今30何位。日本より上を見るとびっくりする。この国より負けているのかと。その原因のほとんどが安売りによるもの。
 安売りするのはいいが、ところが仕入れをたたくことによって安売りをしていたら日本のGDPは下がるに決まっている。GDPというのはその原価と売値の差のこと。付加価値をGDPという。だから、日本人が安売り競争を皆やっていたら、日本のGDPは皆下がってしまう。安売りはそういう意味でもいけない。適正な価格で売るべき。これはなかなか難しい。その安売りの犠牲になっている社員がいるってことは皆さんご存知のこと。
 努力して会社のイメージを上げる、店のイメージを上げるということ。イメージを上げるということは、商品がいいのは当たり前で、それとお店をちょっとお洒落に作るのは当たり前、それから良いサービスなのも当たり前、気配りも良くしなくてはいけない。この国の全体のレベルにふさわしいような商品投資が必要。それが国によってレベルが違う。
 私の若いころはみんな粗末であった。最近どこに行ってもテーブルにしろ、イスにしろ皆良くなってきた。商品投資とはその国のレベルに合わせていかなければいけないというのは当たり前。
 ホスピタリティというのは何となくサービスに捉えられがちだが、それは当たり前。サービスというのは、気配りであり、相手が喜んでくれることをやってあげればいいわけである。その喜びにもいろいろとあるわけだが、これ高野さんの言葉だと思う、「その機に及んで相手の困っていることを即刻解決してあげる」ということが大事なんだと。
 リッツ・カールトンでは2,000ドルまではスタッフの権限でお客さんの為に即刻何かしてあげなさいということになっている。お客さんが真剣に困っている。例えば「大事な列車に乗り遅れてしまう。このままだと大変。今からタクシーで行けば何とか間に合うかもしれない。」即刻、その人の判断で「じゃあどうぞこのタクシーで行ってください。費用は私たちで持ちます。」というのが、リッツ・カールトンでやってきたことだそうだ。2,000ドルというのは大変な金額。しかしお客様が困っているならあなたの判断で即刻対応してもいい・・・そうした限界が2,000ドル。限界を超えたようなサービスは必要ないが、相手が困っていたらその意に沿ってあげる。そういうことではないかと思う。
 さらにどんな店でも施設でも、「美しい」という事は大事だと思う。先ほど掃除の話をしたが、「美しくする」ということ、21世紀しかも日本は世界を代表する近代国家、その国で雑草が生えているようではいけないと私は思う。私自身もそうだが、お店の向かいを通って雑草が生えていたらその店には入らない。気配り、お客さんをもてなすには?お茶をやっている人なら分かるだろう。お客様をもてなすときにはどうするかを。もてなすにはどういう風にするかだ。
 それからよく町で見かけるのが、車道の両サイドに歩道があり、歩道の奥に店があるという場合、その歩道に生えている草の事は一切かまわないという店。私はそこにも入らない。つまり「公共のことは一切しません」そんな身勝手な店、ロクなことがありっこないと思うので入らない。公共の場であっても店の前の歩道に生えている草くらい取るべきだ。日本人として。私どもはやっている。それは構内だけでなくやっている。
 それに道を広げることがよくある。会社にくっついている道を広げる。自分の土地を削って。前からあった道を広くして舗装し、場合によってガードレールをつけてそれを市へ寄付する。もう何箇所もやってきた。終わってみると誰の都合がいいかというと自分たちの都合がいい。自分の土地を削ったように見えて、結局一番使っているのは自分たちなんだと。日本人は土地に対する執着が強い。そんなに欲をかいたってしょうがないじゃないかと思う。藤沢工場という工場があるが、そこの70センチくらいの道を舗装して市に寄付した。やってみると本当に気分がいい。
 さらに私どもは人に迷惑をかけてはいけないと言っている。人に迷惑をかけないということを徹底しているから、会社のイメージは必ず良くなる。会社のイメージが良くなるとあの会社は凄いねと尊敬される。尊敬する人は皆その会社のファンになる。ファンづくり。ファンになれば値段じゃなく買ってくれる。そういう風になっている。
 だから北から当社に来た人はこっちに入ってくるときに右折しなくてはいけないわけだが、私どもの社員は朝通勤時右折を禁止している。全社員。誰もやらない。どうするか?それは通り越して行って、その先の角を左折をする。裏にもう一本道があるのでそれをずっと通ってまた戻ってくると信号がある道がある。それで信号で出てくる。全社員がそれを守っている。それは誰も褒めてはくれない。でも何か自分も少し世の中の為になったというような気になるらしい。
 さらには病院とかスーパーとかそういう大きな駐車場に車を止める場合、みんな体が丈夫なんだから、なるべく一番遠くのところに停めて歩こうよとやっている。私自身もなるべくそうやっている。入り口近くは病気の人やお年寄りの人や足の悪い人に譲ってあげようと、そういうつもりでなるべく遠くへ停める。多分これを実行しているはず。
 実行している証拠に私どもの藤沢工場の駐車場を見て欲しい。20台くらい車が並んで何列もあって停めている。後ろが通路だが、車の後方、5㎝も狂いがない。どんな車でも。いろいろ車があるけれど。それは見せてあげたいと思う。そんな面倒くさいことをしてどうするんだと聞かれるが、これは会社のイメージアップだと。決まりいい会社のイメージが出来るような、いろいろな点でプラスになるということでやっている。5㎝と狂いなく駐車しているので、見たい方はぜひ見て欲しい。毎日やっていれば、じわじわと会社のイメージが上がっていく。
 もうひとつ、私どもの社員がグループで外食することがある。「お宅の会社の社員さんは凄いですね」と褒められた。そこの主人が言っていたが「お宅の社員さんだとすぐ分かる」と。うちの社員は食べた後何となく片付けてしまう、その店の人が運びやすいように同じものは重ねたり、ゴミを集めたり、はしを1か所に集めたり。社員旅行に行ってもやっている。そうすることによって注目を集めたり尊敬される。
 尊敬されるということはファンがついているということ。そのリーダーシップを取るのがトップなんだろうが。トップの理念がいい加減だったら誰も社員はやらない。日本という国は確かに先進国の仲間入りをしているが、私が見た北欧の国々に比べたらまだいっぱい劣っていることがある。スイス、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、あの辺の国々に比べると本当にいっぱい劣っている。私は自分でそういう国々を訪ねて我々日本はどこかおかしいなと。だいたい電柱がおかしい。私はこの構内の電柱は全て埋めた。人にそういうことを言うからには自分がまず実行しなければいけないから。
 私の「いい会社を作りましょう」という本にもう12年前に書いてある。単純なモノづくりは全部低開発国に移ってしまう。日本では観光事業が発達すると。今、残念なことは、大手企業が海外へ出ることしか能がない。なぜこの優れた日本の観光資源を活用してもっと、雪を見たことがないような人たちに来てもらおうと考えないのか。
 例えばスイス、100年前にトンネルを通って頂上に行くという登山列車を作っている。大変な金がかかったと思う。日本人にそういう発想がある人はほとんどいない。スイスにはロープウェイがたくさんある。電車で駅を降りて、すぐそこがロープウェイの駅。1日に何本も行ったり来たりできるくらい。日本の大手経営者、少し金が余るからと500億使ってトンネル掘って山の頂上に行くようにしようだとか、ロープウェイを作るだとか、僅かな金でできるのに、そういう発想が東京に住んでいる人たちにはない。本当に残念。どうしてそういう発想をする経営者が生まれないか?これは日本の経済界が狂っているからである。
 私がこの緑を育てたこと、けしてテーマパークを作ったわけではない。何となく緑を残して手入れをしていったら、「ここにレストランはありませんか?」と大勢入ってくる。ホテルと間違えて入ってきてしまう。そういう人も結構いるんだなと。作ってあげようと言って、一軒最初「さつき亭」を作った。そのうち段々と人が来てもう一軒作った。さらに人が来るから蕎麦屋を作った。いろいろやっていって、今どのくらい来るかは分からないが、最低でも35万人はこの地へ来ていると思う。すっかり観光地になってしまった。ここに宿泊施設があったりすれば結構な観光地になるかなと私は思っている。時間をかけて意識しなくてもそうなってきた。つまり少しずつ良くなってきた。ですから別にあわてることはないのだが、確実に積み上げていくような、年輪経営をやることでお互いいいビジネスが出来るのではないかと思う。
 テクニック編、今日はあまり言わないが、それはそれぞれ勉強するべきである。別に急成長をしなくても会社に終わりはない。いい形で次の世代にバトンタッチしてあげられるような。いい形というのは可能性。可能性というのはその経営者が遠くを計って、常に先を読んでいる手を打った状態で次の世代にバトンタッチをするということ。
 私たちも実は今、大きな工場を藤沢工場に立てている。こちらの工場は可食性フィルムの工場である。要するにポリエチレンが食べられると思っていただければいい。今一軒大きな取引が決まっているがまだ用途開発はこれからである。しかし用途開発はまだではあるが、非常に可能性がある。それはエコであるから。要するにこれから環境問題が非常に大きくなってくる。そういうときに生分解性でしかも食べられるというのはまさしくいい方向の進歩軸。世の中良くなるという方向へ向いている商売だからいい。
 ここで進歩軸とトレンド軸という2つの大事なことを最後に申し上げる。トレンド、流行りのこと。流行りを何とか早く察知しようと誰でも思う。しかしマスコミを見て、今こういう時代だなと言ってそれを追いかける人、あまりいい事ではない。一時はいい。しかしそのトレンドは必ずすたっていく。時計の振り子のように右へ行ったり左へ行ったりする。トレンドだからスカートの丈と同じ。短くなったり長くなったり。男性のネクタイもそう、幅が広くなったり狭くなったり。何の意味もないが流行に従わないとおかしいなとやっているけれど、世の中にはそういうようなトレンドが存在する。トレンドはある程度うまく乗らないとダメな商売。しかしトレンドにすっかり乗ってしまうと、トレンドが逆方向に行った時にはえらい損をしてしまう。中小企業の寿命が30年というのはその辺にあると私は思う。
 そうではなくてトレンドに合わせることは一部するが、もっと大事な根源的な方法、つまり皆幸せになる方法を私は進歩軸という。世の中良くなったり幸せになったり、エコにいいとか、そういうビジネスを育てるという方法さえやっていれば長期的には失敗しないと思う。トレンドだけを追っていてはダメだ、そういうことだ。トレンドは多くマスコミが報じているが、マスコミは自分のものが売れればいいということだから、彼らに責任はない。自分で勉強をしてどういう方向が進歩軸なのかということをちゃんと勉強して行かないといけない。

3 まとめ

高野塾長

 どうもありがとうございました。何回もお話をお伺いしているが、毎回毎回刺さってくる部分が違い、今日はホスピタリティ論議について、後ろの方でじっくり聞かせていただき、確かにいろいろな視点から捉えるホスピタリティというのがあるという風に思った。
 今の最後のお話を伺って、今までにいろいろなお話を会長からお聞きしている中でリッツ・カールトンの創業者のシュルツィが話をしてきたことと重なる部分が非常に多いと感じた。
 1つは今日は時間がなくてお話されなかったが、会社の利益は「ウンコ」のようなものであるという話。この発想は実はリッツ・カールトンの創業者も言葉は少し違うが似たことをおっしゃっている。世の中に価値を作り出してそれが世の中に浸透していって、その一部が自分たちのところに戻ってきて、それを会社の為に使って何かが残るものがあるだろう、これが利益だと。ものすごく発想が似ている。
 もう一つは最後におっしゃった新しい価値ということ。ダーウィンが言った言葉で皆さんも御存じの方も多いと思うが、「生き残れる者は強い者でも賢い者でもなく変化に対応できる者である。」という言葉がある。でも間違いなく伊那食品工業に来て毎回感じるのは、変化に対応していることではない。変化を作り出している、自分たちで。だから新しいトレンドに乗るということではなく、間違いなく新しい価値であり、トレンドを作り出していく者がこれからの世の中をリードしていく、多分そういうことなんだろうと思う。毎回そういうことを勉強させていただく。こんなにありがたいことはない。
 今日は折角の機会であり、この時間しか聞けないので、皆さん是非ちょっとこの部分だけもう少し突っ込んで聞きたいとか、今日はこういうところちょっと感じてみたいということがあったら、質問をして欲しい。
(質疑応答)